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雨上がりの夕日(静岡県函南町にて)。
トップページ > 見聞録 > 『姿三四郎』-黒澤明監督と原作者・富田常雄に敬意を表して(その9-1)

※トップ画像は、雨上がりの夕日と空に掛かる雲(静岡県函南町にて)。

碧落の章(1)


離合-1~2.

--大きな足音で廊下を踏み鳴らして、壇 義麿が書生部屋に駆け込んできた。
廊下に咲いた萩(はぎ)がしめった土にこぼれ、生きものの好きな津崎 公平が世話すると言って飼った二
羽の鶏が、かっと赤い鶏頭(けいとう)の根元で、まだ焼けるような昼下がりの陽を浴びながら、無心に
餌を漁っている。--


夏の雰囲気がまだ残る日々ですが、時折吹いてくる風には秋を感じさせるものがありました。

三四郎は、慌て者の壇の廊下を駆けてくる足音を夢の中で聞いています。今しがたまでの読書に疲れ、
机に突っ伏して寝ていました。

寝ている奴があるか、と壇が三四郎を起こし、どうしたのかと尋ねる三四郎に、お前を訪ねてきたもの
がいる、しかもかなりの美形だ、あれほどの美形がやって来て玄関先に立ったことを嚆矢(こうし)と
する、と逸るように壇は応じます。

興奮気味の壇に対して、俺は知らん、帰してくれ、と三四郎はにべもありません。

その女性の客は確かに「姿さんはおいででしょうか」と言ったので、夢中で注進に来たのだ、と三四郎
に玄関に行くよう、壇が促します。


三四郎は、女性を良く知らず、その扱い方も良く分かりません。長寿庵のお幸とのことは紘道館での稽
古止めのきっかけとなったし、南小路 高子とは試合前日に誘われて出向いた鹿鳴館での騒ぎの中で分か
れることになったいきさつがあります。

さらに乙美とは、村井 半助との闘いで、別れることを決意したばかりです。覚悟は出来ていましたが、
試合を終えてから、再び三四郎の若い心を乱すこととなりました。


「とにかく会ってやれ、姿」
「うむ、知らぬ女に会いたくはないが」

三四郎は重い腰を上げ、玄関へと向かいます。

三四郎は、廊下の冷え冷えとした感覚に秋を感じる冷静さを持ちながら玄関へと向かい、式台のむこう
に昼下がりの陽を裾に受け、唐人髷の首を心持ち傾けて立つ女性の姿を見て、胸を衝かれる思いで立ち
止まります。

音もなく現れた三四郎に気付いた乙美は、それを上回る衝撃を感じました。

(1943年の映画では、神社での父・半助の勝利を祈願する小夜に、お父様の御武運を祈る、と別れ際に
三四郎は自身の名を告げていた)

乙美と三四郎はお互いに、好意を抱きつつも、乙美の方は三四郎の名も、何処に住んでいるのかも知ら
ないという間柄でした。三四郎自身は、それまでのいきさつから乙美の父が村井 半助で、母違いの双子
の姉が高子であることもそれとなく理解している状態です。

雪の日に雪駄の鼻緒をすげて貰い、それ以来好意を抱いて、住み込みで働いていた牛やにまた来る日を
願っていた法律書生と思っていたのが、父を勝負の果てに死の床に就かせることになった人物であること
を、乙美はこの時、理解したのでした。


村井 半助は、病床で三四郎を絶賛してやまず、勝負に臨んだ姿勢で人となりを理解し、称え続けていまし
たが、乙美はそれを父の弱さと思い、心の中で抵抗し続けていました。この日、乙美が屈辱を忍んで紘道
館へと訪れたのは、村井 半助の命が尽きる日の近付いていることをひしひしと感じていたためです。

三四郎も、勝利の美酒に酔っている訳ではなく、悲哀を堪えるように乙美を迎えています。

「御用は」
「父が…。…父がお会いしたいと申しております。一度お会いしてお願いしたいことがあるから、お連れ
申せ、御迷惑でもお願いしてくれと申しましたので、私…」
「お父さんが」
「はい」

この時、既に試合から2ヶ月が過ぎています。

「お父さんはお元気ですか」
「いえ、父も、私も諦めておりますの」
「では、あれから、ずっと寝られたのですか」
「はい」

三四郎は、自身の肩に暗い影を見せて頷き、じっと乙美を見つめます。

「お父さんは御無念と思います。君も無念と思う。しかし、武道は許さなかった。許すほどならば僕は
勝ちはせぬ、闘いもせぬ…。乙美さん、柔道は僕のものではない。紘道館のものでもなかった。柔道は
日本のものなのだ。ケレンは許されない…」
「父はお恨みも、無念も持っておりません。ただ、お会いしたいと明け暮れ言い募らしております」

乙美は、三四郎の苦悩を知り、胸を衝かれています。父の願いを、初めて素直に伝えたいとも感じて
いました。

「来ていただけるでしょうか、根津の汚い家ですけれど」

三四郎は、今となっては村井 半助の風貌を懐かしく思い出します。また、試合後の見舞ったときに掛け
られた「有難う」という言葉は今になっても耳奥に残っています。お互いに、お互いが背負う流派の興
廃を負っての試合ゆえの結末ですが、村井 半助がどのような意味でも三四郎にとっての敵ではなかった
ことを強く感じています。

しかし、村井の家に出向くべきかどうかは別の問題でした。長く考え込みましたが、真剣な眼差しの乙美
と視線が合った時、「行きましょう」という言葉が三四郎の口から出ていました。

乙美は三四郎と連れ立って根津へと向かいます。

何か冗談を言ってからかおうと考えていた壇は、三四郎の表情に深い憂いが刻まれていることを読み取り、
黙って二人を見送りました。矢野塾の窓から首を出し、奇声をあげ始めた塾生に、「こらっ、何たる不謹
慎かっ」と怒鳴りつけます。


富士見町から根津まではかなり遠く、女の足でこの道のりを歩くことの困難さを、三四郎は理解していま
した。しかし二人はどちらからとも俥に乗ろうとは言いださず、黙々と並んで歩きます。


三四郎の憂いは深いものがあります。ほぼ試合の直前まで神田明神に父の勝利を祈願していた乙美ですが、
憎悪の視線や反抗的な態度、敵意というものを三四郎は全く感じず、むしろおどおどとした振る舞いに痛
ましささえ感じています。

長い沈黙を破るように、三四郎が話しかけます。

「僕は君のお父さんの敵だし、良移心当流、いや、広く言えば柔術諸流の敵だと思っている」
「思ってはおりません、父も私も…」
「それは嘘だ、君は自分に嘘をついていると思わんのですか」
「は、はい」
「何故、君は僕を人殺しと呼ばない、お父さんの仇だと言わないのだ」
「………」
「僕は世辞にも許されたくはない。憎しみを負って生きて行くのが、僕の道だ」
「無理です」

乙美は大きな声でそれだけ言うと、どっと涙があふれて頬にぱらぱらと降り落ちます。

乙美には、三四郎を憎もうとしても憎めないのでした。そのことに自責を感じて顔を赤らめていること
に気が付き、却って酷なことをしてしまった、とそれ以上言うことを止めました。何か言えば、また
乙美を泣かせてしまい、痴話喧嘩する若夫婦か二人連れと思われるだけだ、と狼狽してしまいます。

「泣いては困る」

--こういうと三四郎は周囲を見回します。人力車が近くにいたことに気が付きます。

「俥にしましょう。乙美さん、遠すぎる」
「はい」

乙美は既に泣きやんでいました。


離合-3.

根津権現の森で蜩(ひぐらし)がしきりに鳴いています。

高い杉の梢を茜色に染め、初秋の陽が落ちようとしています。辺りの静かな空気の中を、夕餉の支度の
煙が漂います。

 
根津神社の正門鳥居。右画像は根津権現の裏手に当たる通り。


乙美と三四郎は根津裏手の村井の家に着きます。

三四郎が来たことを、村井 半助はことの他に喜びます。試合後、重い病を得てそのまま床に臥せること
になった、その喜び方は不思議なほどで、元々が好人物だった面が、弱められた虚勢から露出するよう
になった、とも受け取れます。このことに、三四郎は胸が塞がる思いをします。

乙美は冴え冴えと明るい表情で、父に言われる前に貧しいながらも三四郎のための夕餉の膳を用意し始
めます。

半助は、寝たままの姿勢で三四郎に話しかけます。三ヶ月や半年程度の稽古は俄か稽古に過ぎなかった、
特に、三四郎との試合を前にしては。若い頃に浴びるほどに飲んだ酒が良くなかったのだろう。しかし、
紘道館との試合を控えて生まれて初めて全力を尽くした。あの試合が半助にとっての頂点だ、試合を終
えて五体はぱらばらに緩んでしまった、と自嘲気味に笑います。

心臓が悪くなったらしく、よそ目に見てもはっきりと分かる浮腫みが半助の顔に浮かんでいました。

「それにしても、よく来て下さった。礼を言わしてもらう。娘など遣って迷惑だったかも知れん。それ
に紘道館の連中にも妙な気持ちを起こさせたかも知れんが」
「そんなことはありません」
「あの試合は良かった。投げられて気持ちが良かったよ、はははは、負け惜しみじゃない。あんたは柔術
の天才だ。古今に少ない生まれつきの柔術家だ」
「村井さん、僕を自惚れさせないでください」
「うむ、うむ、その言葉がますます良い。姿君、わしの理想はやはり、矢野さんと同じように柔術を日本
武道として栄えさすことだった。流派は要らんのだ。一番すぐれたものを各派から採り入れて、日本の
柔術をがっちりと築き上げることだ。勉強が足らず、怠惰なわしにはそれが出来なかった。身をもって、
それに当たっているのが矢野 正五郎だ。その理想を形に現わしたのが、あんたの柔術だ」

矢野 正五郎が築き上げ、困難をはねのけて、優秀な弟子を育て上げ、見事に柔術を柔道として再興させ
つつある、それを試合することにより実感した半助は、柔道は立身出世の道具ではなく、武士道である、
日本人の全てが洋服を纏うようになったとしても、武士道は武士道として滅びることはない、と三四郎
を励まします。きっと、矢野 正五郎がそうしてくれるだろう、と。

村井 半助は、これまで心に留めていたことを全て吐き出したように、満足げでした。

乙美が夕飯の支度ができたと告げ、父にも粥を寝床のままで食べるかと尋ねます。半助は気分が良い
ので起きる、と言い、3人で食卓を囲みます。


三四郎には既に故郷にも父母はなく、独りで紘道館に弟子入りした身でした。彼にとっては、まさに
村井との食事の席が温かい「家」の団欒のひと時でした。敵という立場は既に解消し、その時が来て
自然に夕餉に向かう、「家庭」に迎えられたひと時でした。

三四郎は、鼻筋がじーんと痛みます。しかし、嬉しさを感じさせる痛みでした。それを紛らわそうと、
つまんだ昆布巻きをランプにかざして、「これは美味い」と言いながら箸を進めます。

食事が済むと、半助は明日の朝に飲む煎じ薬がないので、八重垣町の竜泉堂に行って貰ってきてくれ、
と頼みます。乙美が出ていき、半助は床の上に座り、改まった態度で三四郎に頼みごとをします。

娘の、乙美のことでした。三四郎は乙美の出自のことをほぼあらかた知っており、南小路 光康子爵の
ことも知っていたため、半助の方が驚きます。南小路子爵とは、九段坂で暴走した馬車に乗っていた
高子を助け、その際に怪我をして手当を受けたことから知りあう経緯がありました。

南小路子爵が村井 半助と同郷であり、南小路家に小間使いとして入っていたお品という女性も半助と
同郷だったことが三四郎に明かされます。お品の娘が乙美で、母子ともに半助が引き受けることになり、
それからずっと半助の娘として育ってきていました。11歳のときに母のお品は没しています。半助の
頼みとは、半助が死んだあと、乙美を南小路家に帰すのに力になってやって欲しい、ということでした。

半助は、床の下から紙に包んだ金襴の守袋を取り出します。その守袋に入っている折り畳まれた紙には
--

乙美
明治五年三月四日   光康命名

--とありました。



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