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第3台場公園内の砲台跡
トップページ > 見聞録 > 『姿三四郎』-黒澤明監督と原作者・富田常雄に敬意を表して(その4-1)

※第3台場公園内の砲台跡(東京都港区台場)。

佳人の章(4)

闘魂-1~3.

嵐の中の、台場で行き合った柔術家3人と、戸田 雄次郎との対決です。同時に3人と相対する戸田は、力を
一点に集中することはもとより不可能、構えるとも構えずとも見えない姿勢を取ります。

そうした戸田の構えに、あたり目の仁助は当身業やつかみどころのない様子に畏怖を感じて警戒します。

この瞬間、戸田の耳には嵐の音も聞こえなくなっていました。心が冴え、肉体と精神が闘争に向かって集中
し、先ほどまで避けようとしていた闘争への歓喜を初めて覚えます。

そして、この台場にまで連れてきた千鶴に対する気持ちと、彼女の命運すら自身の双肩にかかっていること
を感じたとき、戸田が負けたときには彼女も無事に帰れないことも意識します。


仁助が草を分け、戸田の三尺前(約0.9m)に出ると、拳を戸田の眉間に叩き込みます。戸田は右腕でかわし、
襟をお互いに掴み合うと崩れる間もなく足を内側から絡めて大内刈りが決まります。

戸田の体は草の中に音もなく姿を隠します。仁助は大きく弧を描いて松の幹をかすめ、はるか遠くの草の中
まで飛ばされます。


(第3台場公園よりレインボーブリッジを臨む)

「畜生」--脇で伺っていた栄三が袷(あわせ)を無造作に外し、風の中へと投げ捨てます。全身を埋める九紋
竜の刺青と腹に巻いた白い晒(さらし)が鮮明に浮き上がります。

戸田は松を盾に立っています。長刈りの髪が額に垂れ、袴と着物の裾が泥で染まっています。

栄三は天神真楊流の寝技を掛けるべく、闘いを有利に進めるために上半身裸で戸田に挑みます。栄三が戸田
に足払いを掛け、かわされたところを屈せず左足を飛ばすと同時に戸田の足払いの裏業、燕返しが決まります。


栄三は受け身を取れず後頭部を打って「うーむ」と草の中で唸り、顔を歪めます。

「おうりーや」--仁助が草の中から身を躍らせ、戸田の足に飛びつきます。右足を取られ、二歩、三歩と後退
し、四歩目で倒れますが左足が仁助の腹にかかります。

巴投げを受け、仁助は再び宙を舞い、草むらの中に倒れます。

起き上がった戸田は、栄三が起き上がろうとするのを認めて飛鳥のごとく跳躍、業のかけにくい相手を制す
べく飛びつきます。


千鶴は小屋の戸口に立ち、わなわなと震えながら男たちの闘いの様子を見つめています。草むらが猛烈な勢い
で倒れ、次第に海際の石垣へと移動していきます。その先は、きつい傾斜と波頭砕ける海…。息をのみ、目を
つぶり、再び目を開くと草むらの動きは止まっています。

対決していた2人の男たちが海へと落ちた、と千鶴が絶望にとらわれかけたとき、泥だらけの姿で戸田が起き
上がるのを見届けます。

栄三は戸田の片羽締めが極まり、泡を吹きながら四肢を震わせています。この風雨がいずれ栄三を正気に戻す
でしょうが最早、栄三は闘志を取り戻せないでしょう。

しかし、男2人との死闘です。さほど時間はかからなかったものの、戸田の体力はかなり削がれており、風雨
の中で不利な闘いがまだ続きます。

 
(第3台場公園)

雨がやや勢いを弱めたものの、低く走る雲と吹きすさぶ風が、いよいよ周囲の光景を凄まじいものに変容さ
せていきます。

まだ、仁助との決着がついておらず、さらに掛札 兵介が控えています。

仁助は戸田の背後を取るために草むらの中を這って行きます。戸田は松の根に陣を敷こうと歩いて行き、その
背後に回り込みました。一方、兵介は合羽を羽織り、成り行きを静観しています。戸田らとの間合いは十間
(約18m)です。

仁助は、右手にどこかで拾った太い松を持ち、隙を伺っています。千鶴はいち早く気が付くも、足がすくみ、
声を出せません。

「とおーっ」裂帛の声が戸田の口から迸ります。仁助が打ちおろした松の枝はかわされ、その刹那かかった
背負い投げで松の幹に体をぶつけられ、2度と起き上がれなくなります。


掛札は、羽織っていた合羽を風の中に投げ捨てます--「やるのお、書生」。

第3の敵は最も強く、柔術界で怖れられ、忌み嫌われている殺当流の使い手です。南蛮一法流の流れを汲む
と言われる殺当流は絞め技・当身ともに鋭く、その組み手は死すら覚悟しなくてはならないものでした。

「泉とやった時とは見違えるほど腕を上げたのお…が、可哀そうだが手加減はしねえぞ」

戸田は既に、2人との死闘で七分の力を使っており、残り三分という状態でした。とても勝ち目のある闘い
ではありません。しかし、千鶴がいる以上、この場から逃げることもできません。

兵介は無造作に戸田へと近寄ります。

「当身は怖いか…絞めも怖いか…逆手も怖いか。ふふふふ、投げが良ければ投げで行くぞ」

兵介の右手が戸田の襟をつかみます。戸田は背負い投げを掛けます。しかし、兵介の両手が戸田の腰をがっち
りと抑え、2つの肉体が折り重なって前へと泳ぎます。

裂帛の気合の直後、兵介は戸田を後ろ抱きに抱えて裏投げに投げ技を掛けます。2間先(約3.6m)の草むらに
落ちる時、身を捻るものの地面で肩を打ちつけます。

「名付けて逆飛燕(ぎゃくひえん)」--兵介はそういうと片手をついてうずくまる戸田の背中に飛びつき、俵を
担ぐように軽々と戸田を持ち上げ、肩車で放り投げます。

「岩石落とし」と叫ぶと、千鶴が「助けてぇ」と絶叫しながら戸田が落ちた草むらへと、ふらふらとしながら駆け
出します。


千鶴が草むらに近付く前に戸田は立ち上がっていました。

「邪魔だっ」--戸田は鋭く千鶴を叱りつけます。2人の"生け贄"を前に、兵介は快感を覚えています。もう一撃
で戸田は二度と立ち上がれなくなる…微かに笑みを浮かべた兵介は、すぐさま笑みを消します。戸田が躍りか
かり、戸田の足払いと兵介の大外刈りと業が交錯、もつれて地面に転がると抑え込みと絞め技の応酬です。

震えながら見つめる千鶴は、先ほど仁助が手にしていた松の枝を拾い上げます。これで戸田を救おう、と心に
決めて。

獣のような唸り声と同時に兵介が起き上がります。戸田は死力を振り絞って逆十字の絞め技を掛け、足を兵介
の腰に絡めて貼りついています。暗紅色に顔を染めた兵介は、二歩ほどよろめいたものの、戸田を体から振り
ほどくと吊るし上げ、横落としに投げ上げます。戸田は俯けに倒れ、動かなくなりました。

千鶴は手にしていた松の枝を力なく下に垂れます。

戸田はもう動かない--そう思った兵介は千鶴に話しかけます。

「お嬢さん、これは俺の罪じゃないぜ。巡り合わせというものだ。ふふ、時化の悪戯か。怖がることはない。
俺は温かい血の通っている人間だからな」

こう言うと、兵介は千鶴に近寄ります。千鶴は反射的に一歩下がります。すると兵介の背後から「こいっ」と
鋭い声が響きます。

泥人形のような姿で、戸田が体を揺らしながらも立ち上がっています。最早気力だけで立っているのが、痛い
ほど伝わってきます。

兵介は、最早とどめを刺すつもりでいます。迫ってくる兵介に、後退しながら間合いを取ります。

ふと、戸田は兵介の背後に蓑を着て立っている人影をとらえます。敵か、味方か?味方であればいち早く救い
に飛び込むべき時ですが、その人影が動く気配はありません。

第四の敵か--戸田は底知れぬ絶望を感じます。兵介の最後の業で崩れようとした時、千鶴が憑かれたように叫
びます。「戸田さん…船が、家の船が来てよ。迎えに来てよ。闘ってね、最後まで闘って…」

丸にシを描いた島屋の屋号を染めた角帆に北風を一杯に受け、荷足(にたり)が2隻、3丁櫓を操って台場に進ん
できます。千鶴は助けの出現に安堵して、大粒の涙を流します。


(第3台場公園に繋がるお台場海浜公園の海岸にて)

戸田はまさに絶体絶命の土壇場で助けが現れたのを知り、全身に力が漲るのを感じます。不思議な感覚を
戸田は意識の底で感じました。

「来いっ」
「くそ」

躍りかかろうとした兵介は、一町(約110m)に近付いている島屋の船を見て、背後の蓑の男に叫びます。
「船頭、仁助を担いで行け。俺は栄三を連れていく。ぶつかっては面倒だ」

船頭は命じられた通り仁助を担いで、兵介は栄三を背負って台場に乗りつけてきた船で去っていきます。
霞む網膜に彼らが去っていくのを映した後、最後の気力だけで立っていた戸田は、丸太が倒れるかのよう
に草むらの中に倒れ込みます。


闘魂-4.

ここはどこの細道じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ……

子どもたちの歌声が明瞭に耳に入ってきます。
戸田は、子ども時代に戻っているような気になっています。小さな女の子たちが腕でつくる鳥居を潜り、
抜けたところに、いきなり鳶口を頭に叩き込まれます。そのまま鳶口の柄をつかみ、その相手の顔を見
るとその男は掛札 兵介です。
このまま引き回されては頭が痛い、と鳶口を引き抜き、懸命に身構えます。相手の顔に、兵介・仁助・栄三
の顔が重なり、無数に増え、塊になって戸田に向かってくると闘志に燃え、「来いっ」と怒鳴ります。

「馬鹿奴(ばかめ)、まだ闘っているのか」

聞き覚えのある声に、戸田は現実に引き戻される思いをして目を開きます。

明るい日差しの中に障子が映えています。戸田が寝ている3尺(約0.9m)離れた位置に、腕組みして座る
矢野 正五郎がいました。

"先生すみません"--戸田は矢野に詫びているつもりですが、一向に言葉にはなりませんでした。

島屋 長作が、どうやら気がついたようだと言い、矢野は大変なご迷惑をかけて、と軽く頭を下げます。
戸田は自らの軽挙妄動を師に詫びている体ですが、声がまるで出せず、目だけが潤んできます。

今の状態の戸田を興奮させてはまずい、と別室で熱い茶を勧めようと長作は促し、戸田は落ち着いて再び
うとうとと眠ります。


天神さまに願かけて…

子どもたちが歌う歌声が遠くから聞こえ、眠りと目が覚める境目のうっすらとした意識の中、戸田は子ども
に戻ろうとしていました。

「お重、桟橋で遊んでいる子どもたちを帰して頂戴、うるさいわ」--声と一緒に明るい色彩が動きます。
戸田の顔に近く、千鶴が小首をかしげながら笑顔を見せました。「どう…お気が付いたのね」。


長作は自室である8畳の居間に矢野を招き入れ、まなじりに皺を寄せながら茶を勧めます。

「先生、戸田さんの柔術ぶりは勇ましかったと、千鶴が申しておりました。戸田さんがあのくらいだから、
先生はもっと強いに違いないなぞと」
「まったく、戸田の軽挙にはお恥ずかしいやら、申し訳ないやらですが、御主人、許してやって下さい。彼
はまだむき出しの田舎書生です」
「いやいや先生、これも縁というものでございましょう。どっちが船に誘ったやら、誘われたのやら、はは
はは、独りでは家を一足も出たことのない千鶴が、あの沖まで行ったのでござんすから、こりゃあ、はたで
何と申しても追いつきません。お陰で私は無鉄砲だった自分の若い頃を思い出しました」

島屋の言葉に、矢野は救われるような思いをし、目で笑います。

「御老人もお台場で闘われましたかな」
「はははは、私のは永代で街の乱暴者10人と喧嘩を致しました。やはり貰いたての家内を連れたままでな、
男はなかなか勇ましくなりますな、そんなとき…」
「千鶴さんからの話で、戸田がよく闘ったのは聞きましたが、柔術家と名のつく人間が、喧嘩を吹っかけた
いきさつには腹が立ちました」
「掛札 兵介と申しましたな。夏の頃、ここへ来たことのある」
「さよう、今度のような行為を重ねて柔術家の人格を墜とし、併せて柔術そのものの品まで壊滅させていく
のです」

長作老人は、柔術の値打ちを高め、気品を高めるためにも一肌脱がせて戴きたい、ぜひ道場を開くのに助力
させてほしい、と矢野を説得します。矢野はまだまだである、志は忘れません、と固辞します。しかし、最
早自身の堪忍袋もどうやら切れた、これからは自らも闘う、と決意します。

仮にこの気持ちが歪んだ時、矢野の闘いは清閑寺一家への不満を土台に、社会への呪いの闘争になったかも
知れません。しかし、彼が目指すのはただ、柔術を発展させることのみでした。闘魂はその一点に向けて凝
結すると静観へと繋がり、自信が時を待たせるのでした。

その時、千鶴が唐紙の外からおどおどした調子で、戸田が吐き気を催したらしい、と声をかけます。長作老人
は松本先生をお呼びしなさいと応え、矢野に大丈夫だろうか、と振り返ります。

意識が返ったのだから大丈夫だろうが、たった一人の弟子を死なせたくない、と矢野の表情が暗くなります。



(次ページ「道尽きず」に続く)



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