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公益財団法人 国際文化交友会 月光天文台

旧麻布森元町(現: 東京都港区東麻布1丁目)付近。
トップページ > 見聞録 > 『姿三四郎』-黒澤明監督と原作者・富田常雄に敬意を表して(その12-1)

※トップ画像は、旧麻布森元町(現: 東京都港区東麻布1丁目)入り口付近。

有縁の章(1)


馬車-1.

--「板垣君遭難」の三幕目が切れて、書生芝居の空気と違うしゃぎりの音が、急に見物人の気を芝居
小屋にいる気分に戻した。
桟敷の前に下がった無数の小提灯の、赤と緑の色彩も暑苦しいものであった。引幕の前に麗々しく
並べた「川上音二郎丈江」と書いた寄贈品の、酒樽とか、薬玉(くすだま)とかいった品々の載積は
一層に場内を狭くして、平土間を歩き廻る茶屋女中の揃いの前掛けは眼触りであったし、たっつけ
を穿いた出方の往来も場内を落ち着かぬものにしていた。--


三四郎は、田川の女将・お仙の提案で、乙美とともに芝居見物のため、麻布開成座を訪れています。

麻布森元町には、彼らが芝居見物に訪れている開成座の他に、地名と同じ森元座、高砂座という芝居
小屋があり、森元三座と称されていました。麻布森元町は現在の東京都港区東麻布に相当します。
この町のすぐ東側には国道1号線(桜田通り)、国道を隔ててすぐ東側には芝の増上寺や東京タワーが
目の前に見える芝公園という場所です。

近隣の盛り場である「飯倉四辻土器町」の客を当て込んで作られた芝居小屋が森元三座で、森元三座
が盛況を極めたのは1892(明治25)年のことでした。紘道館(講道館)発足は1887(明治20)年、5年の
歳月が過ぎ去っています。


因みに、東京天文台(国立天文台の前身)が麻布森元町にほど近い麻布飯倉町に麻布観象台を設置した
のは1888(明治21)年のことです(コラムにて詳述)。この近隣には現ロシア大使館をはじめとして、
数多くの大使館が置かれていますが、明治時代の中期には、東京天文台の観測所も、この近くに置か
れていた、という訳です。


 
現在の、森元開成座があった辺り。現在は皮膚科クリニックが入居する雑居ビル群が立ち並ぶ。





芝居の幕間、空気の客席の空気の悪さに三四郎はややうんざりしています。柔道の修業を重ねている
彼にとって、桟敷席に端座すること自体は苦ではありません。育ちの良さから静かに座る乙美が隣に
居ることも、三四郎を落ち着かせないことの元となっていました。

お仙が三四郎と乙美を芝居に誘ったのも、芝居そのものへの興味よりは、この2人を並べて見る方に
楽しみを見出しているかのようです。

客席の窓という窓は全て開け放たれていますが、換気にはあまり役に立っていないようです。窓から
は星空も見えていますが、満員の客席の人の体温がくぐもって空気が澱んだままです。

乙美も、意中の人の隣に座り、川上音二郎の書生芝居「板垣君遭難」の芝居の筋にはあまり身が入ら
ないようです。

お仙が、少し廊下に出て涼んでみないか、と二人に声をかけ、三四郎も「廊下はいいですな」-さっさ
と席を立ち上がって廊下へと向かいます。やや遅れて、乙美も廊下に出てきました。

 
(東麻布1丁目を東に出る。東京タワーがほぼ真正面に見える。国1桜田通りもすぐ近くである)


三四郎は、田川の前を通りかかりながらも早足で通り過ぎるという、乙美に会いたいと思いつつも
会わずにいるという、女性に対して奥手な若い男性がやりがちな行為を暫く繰り返し、ついにお仙
につかまって観念し、乙美を横浜駅で置き去りにしたあの日以来の再会を果たしています。

修行の旅に出ている間に縫い上げた単衣の普段着を、先日の訪問時に伝えるのを忘れていた、と
乙美が三四郎のそばによって言い、三四郎は「有難う」と頭を下げます。

舞台から、芝居の再開を知らせる拍子木の音が鳴り響いてきます。

三四郎と乙美の間に、ほのかな温かみのある空気が流れます。

その時、三四郎の名を呼ぶ若い女性の声が聞こえてきます。マーガレットに結び、牡丹を染め、紅
かけ鼠(ねず)の絢爛な単衣姿の高子が、すぐ近くに立っていることに、三四郎は虚を衝かれる思い
がしました。

背後にいる、乙美への対抗心をあらわにし、高子はいつも以上に猛々しい笑顔と身振りでいました。

「お驚きになって」
「いや、少しです」
「あなたとお芝居とはぴったりしませんのね」
「僕もそう思っています」

三四郎は、眼の前の高子よりも、後ろにいる乙美のことが気にかかります。

高子と乙美は異母姉妹、芝居小屋という華やかで、女の心をやや白けさせるような雰囲気の中で2人
は一瞬、巡り合いました。当時の日本人にとっての「西洋文化」を体現したような華美な女性に周囲
の目が集まったその時、日本髪に飛白(かすり)の透綾縮緬(すきやちりめん)を纏う清楚な乙美は、既
に桟敷の方へと向かっています。三四郎が紹介しない限り、離れ去る以外にない姉妹の離合です。

乙美は高子がどういう女性なのかを知ることができないものの、鏡に写したかのような女性を目の前
にして驚きを覚えます。胸の塞がるような圧迫感と心のざわめきが残り続けています。

歩き去っていく乙美を、高子は好奇で鋭く、視線で追いかけながら「あの方はどなた…」と三四郎に
問い掛けます。三四郎は振り返って、既に乙美がその場にいないことに気付くと「連れです」と出来
る限り平静に応じ、「下町の方ですのね」と言うと、それ以上の問い掛けを止めました。高子自身の
誇りが、三四郎とそばにいた娘との関係をより深く明らかにすることを自身に許さなかったためです。

お仙が戻ってくると、お茶屋にラムネを頼んでおいた、と三四郎に声をかけます。その時、お仙と
高子の視線が絡み合います。まさに、無言の火花が散るような雰囲気です。高子はそれを潮に「では
御免遊ばせ」と身を翻します。高子が身に着けていた香料が、その場に残り香として漂います。


高子の後ろ姿を追い、お仙は三四郎に視線を戻して、誰なのか、と目顔で尋ねます。南小路子爵の娘
だ、と応えると、お仙もそう感じていた、と話します。怖いほど似ている、でも乙美は少しも劣って
いはしない、白粉(おしろい)と着るものと、性質が違っているのだろう、と自分を納得させるかのよう
にお仙は言い、三四郎も頷いて見せます。

いつしか、芝居の幕が開きました。三四郎の隣で、乙美は変わらずに座って芝居に見入ります。お仙
もひっそりと芝居に見入っています。しかし、三四郎以上に、この2人の女性は心の動揺を覚えてい
ました。

乙美は高子の姿を思い浮かべながら、胸のつぶれるような切なさと闘い、お仙は強い対抗意識の中、
乙美ちゃんがもっと美しく、もっと立派にと祈るような気持ちで心に繰り返しました。


馬車-2~3.

芝居の大切りの幕間に、音二郎がオッペケペー節を歌うのがこの一座の呼び物となっていました。
大半の客がこれを聞きたがり、それを見るためだけに来る人たちも少なからずいました。時あたか
も、日本国に議会が成立して、第1回帝国会議が開かれた時代です。自由民権を唱える人々が現わ
れる一方で、政治的意見を述べることをよしとしない者たちも少なからずおり、時として弾圧の
標的になりかねない時代でした。


川上 音二郎は、大阪の元は落語家の弟子の一人、浮世亭○○(まるまる)を名乗り、その落語家が始めた
オッペケペー節を自家薬籠中の業として流行らせ、風刺の唄としました。1891(明治24)年2月以降、
壮士芝居役者として舞台に立ち、大切りの幕間に余興として歌ったのを、当時の客たちが喜んで聞い
ていたとされています。

こんな内容の唄でした--権利幸福きらいな人に自由湯(じゆうとう)をば呑ましたい。オッペケペ、オッ
ペケベッポ、ベッポッポー。堅い上下(かみしも)角とれて、マンテルズボンに人力車、いきな束髪ボン
ネット、貴女に紳士のいでたちで、外部の飾りはよいけれど、政治の思想が欠乏だ、天地の真理が分
からない、心に自由の種をまけ、オッペケオッペケボーボー。(以下略)


…今、この歌の文句を読んでみても、不思議な感覚と節回しの面白さを感じ取れます。また、音二郎
自身にも、自身の周囲で起きていることを敏感に感じ取れる鋭い感覚があったのでしょう。ずばりず
ばりと言いたいように言っているようでいて、鋭く世相を観察して、体制批判を重ねており、そこが
当時の一般人の心をとらえたのだと感じます。


21世紀の現代であれば、場所さえ間違えなければこの程度の内容で思想弾圧の対象になることはまず
ありません。しかし、この様な内容でも面白く思わない人はいつの時代にもおり、しかも明治時代に
政治思想を公の場で表明することは、弾圧の対象にもなりうる事柄でした。音二郎は後に民権思想の
新聞記者・自由 童子を名乗り、10回以上入獄したと言われています。

音二郎は開成座の大切りの中、湯のみで喉をうるおし、観客の掛け声と歓声が落ち着くのを待ちなが
ら、オッペケペー節を続けていきました。

三四郎たちは東桟敷の席にいます。

一句も逃すまいと聞き入る観衆に、冷や水を浴びせるかのごとく、西桟敷から舞台など知ったこっちゃ
ないと言わんばかりの笑い声が上がり、その場違いな笑いに我慢ならず、音二郎は笑い声がした方向を
睨みつけます。観客はほぼ全員が音二郎の味方でした。舞台を邪魔した人間への憎悪が客席に漲ります。

笑い声のした席の近くで、笑い声を上げた人物に対する罵声が起こります。どこの山猿だ、芝居を見る
様な人物ではない、山に帰って木でも伐っていろ、と言った具合です。

最初に笑った男も、鋭く応じます。可笑しいから笑った、悪いか、ばかばかしいわ、と血の気の多い職
人との応酬があり、立ち上がった男の行者のようないでたちから、三四郎は檜垣 鉄心だと気付きます。

続いて罵ろうとした職人は、新たに罵詈を浴びせようと言いかけたとき、源三郎が立ち上がり、電光石
火の如く体が閃きます。「ひぇっ」という悲鳴と一緒に、職人は後ろに棒倒しの如く転倒します。

西桟敷は総立ち、女子供は声を上げて廊下に飛び出し、檜垣兄弟目がけて煙草盆や座布団、ビールや酒
の瓶が投げつけられますが…巧みに避ける檜垣兄弟には何のダメージも与えませんでした。

源三郎が唇を歪めてにやりと笑い、突っかけていった書生が悲鳴を上げてのけ反ります。鉄心の貫手が
書生の顔に極まったのでしょう。

大道具が幕を引き、音二郎の弟子たちが花道から桟敷へと登ります。最早、芝居は続行不可能、芝居小
屋の中は悲鳴と歓声に溢れ、投げつけられたものが割れる音や、逃げまどう観客がぶつかり合うなどし
て、混乱の渦の真っただ中にありました。


お仙が、これではもう芝居どころではない、帰りましょうと乙美と三四郎に促し、先に席から離れます。
乙美も、三四郎に女将が先に行ったから、と小声で促します。三四郎は返事もせずに、檜垣兄弟と群衆
との攻防から目を離せずにいます。

檜垣兄弟らは、襲い掛かる群衆をものともせず、あしらいながら芝居小屋の外に出ていきます。観客は
ほとんどが芝居小屋の外に出てしまい、小屋の中はひっそりしていました。鉄心と源三郎から一撃を喰
らった3人の男たちが、介抱も受けずに倒された場所で横たわったままになっています。

麻布森元町・開成座の興行は、満員御礼から一転、2人の男により踏み躙られ、今や見る影もありません。

表では、看板と幟に映えるガス灯の向こうに一層の暗さが拡がっています。




はぐれて呼び交う声と、人力車の行き来と帰りを急ぐ人々の群れから離れた闇の中を、黒い影が
入り乱れて東西に走り、怪鳥に似た気合が夜気を裂き、それに応ずるように怒号と罵声が闇に満
ちています。夜空は曇り始めて、星の光がかき消されていきます。

開成座の楽屋口から、壮士役者が2-3人、仕込杖を抱えて乱闘の中に飛び込んでいきます。

群衆は遠巻きに乱闘の一団を囲み、乱闘は客待ちの車夫のたまり場へと移動しています。今、鉄心
はひっくり返った人力車を盾に、源三郎は大きな屋敷の石垣を背にして、開成座の表方や大道具係、
仕込杖を抱える壮士役者らを迎え撃とうとしています。

鉄心は平安(びんあん)二段の構え、右拳を肘から曲げて額の前に、左拳を拳に構え、体を左に開い
ています。源三郎は公相君(くうしゃんくう)の型、丁の字に体を構え、左手を下に右肘を直角に正
面に立てて、掌を開いたまま側面受けの姿勢を保っています。

鉄心は、徒手空拳で、棍棒で向かってくる一団を次々になぎ倒していきます。源三郎は丁の字の型
のままに動かず、抜き身を持った壮士2人に、同時に斬りかかられます。源三郎、頭と肩に斬撃を
受け、倒されたかに見えました--。

仕込杖で斬りかかった2人は、既にそこにいない源三郎の残像を斬っただけでした。「き、え…」
源三郎が深山の怪鳥を思わす気合とともに再びその場に降り立ち、頭部への蹴りと眉間への肘の
一撃をそれぞれ喰らい、その場に横たわっています。

三四郎は夢中で、電信柱の影に隠れて檜垣兄弟の闘いぶりを見つめています。芝居小屋側の人数は、
檜垣兄弟の前には全く歯が立たず、立っていられる人間の数が次第に減っていきます。そこへ巡査
が来た、という呼び声がかかり、鉄心は源三郎を呼び、背後の石垣に駆けたと思うと次の瞬間には
姿を消していました。

唐手の怖ろしさ、否、三四郎は檜垣唐手の凶暴さを見届けます。


ふと、背後に気配を感じた三四郎は、振り返ってみるとそこに震えながら立つ乙美を認めます。彼
はやっとそれで我に返り、芝居小屋を出てから乙美がどこにいたのか、意識から抜け落ちていて、
実際にはずっと三四郎を追って付いて来たことに気がつかないままでした。

お仙はどうしたのだろう、と2人は訝り、芝居小屋に戻って中を確かめ、近くの茶屋も確かめてみま
したが何処にも見つかりません。どうやら先に帰ったらしい、と三四郎は乙美に帰ろう、と呼びかけ
ます。

歩き始めて、今の乱闘が怖かったかと乙美に尋ねると、はい、と彼女は応えます。三四郎にとって、
彼らの業は命取りとなりかねないものでしたが、どんな相手にも負けることはない、と乙美がかつて
父にしたように三四郎を励まします。

そこへ、馬車に乗った高子が近寄ってきます。馬車の瑠璃灯に、高子の横顔が美しく浮き上がります。
紘道館に帰るのなら、一緒に乗っていかないか、と三四郎と乙美に声をかけますが、三四郎はぶっき
らぼうに応えます。2度聞かれ、2度とも断られると、高子は徒歩は大変ね、御免遊ばせと言うと、2人
の横を通り抜けて去っていきました。

三四郎は、今馬車で通り過ぎたのが南小路子爵の娘で乙美の姉妹だ、と彼女に告げます。

長い沈黙の後、芝居小屋で会ったときに気が付いていた、と乙美は返します。芝口から淡路町に向かっ
て歩く間に、2人の着物は夜露に濡れてきました。

乙美と高子を引き合わせるべきだった、と三四郎が言うと、乙美は今のままで良い、と首を振ります。
馬車で一緒に帰っても良かったのですよ、と笑いながら言う乙美は、普通の娘に戻っていました。

三四郎はもとより、南小路の馬車に乗るつもりなどなく、しかし麻布から淡路町まで乙美を夜道に歩
かせるのも良くない、と目で辻俥を探し始めます。

乙美は、三四郎と一緒に歩けるのが嬉しかったのでした。しかし、居候の形で過ごしている田川の内情
が経営的に行き詰っていることも感じており、そこが気懸りでもありました。三四郎は当座の10銭に
苦労しているところ、田川は千円のお金で苦労しています。三四郎には、容易にそのことは理解が及び
ませんが…。

高子を見てどう思うかと三四郎が尋ねると、親しみや懐かしさは感じない、しかし名乗り合って一緒に
暮らせばまた違うかも知れない、と乙美は応えます。しかし、南小路家に帰るのは嫌なようです。

 
左: 旧麻布飯倉町の坂道より。現在の狸穴(まみあな)町である。正面に六本木ヒルズが見える。
右: 桜田通り(国道1号)をやや北寄りに歩いた位置より。六本木ヒルズと東京タワーが、特に知られて
いるこの付近のランドマークであると言える。


淡路町まではかなりの距離がありました。しかも、夜更けに山の手では俥が容易に見つかりそうにあり
ません。

「東京の俥屋が休みというのでもなさそうだし……無いなあ」
「私、歩いていきます」
「そうはいかん、それに、僕は君と歩いていると非常に疲れる」
「あら……では、独りで帰りますから、どうぞ……」
「そういう訳にはいかないから困る」
「一人でも大丈夫ですわ」
「(やや怒って)馬鹿を言っちゃいかん」

2人はここで黙ります。暫くして三四郎が口を開きます。

「まったく俥がないのは困る」
「ほんとに」

2人は夜の道を歩き出します。時々、2人の肩が触れるのにも慣れて、この路が夜明けまで続いても、
一向に苦にも感じない、と明るい表情で夜露に濡れて歩いていきます。




(次ページ「馬車-4.」に続く)




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(参考文献は全て最終ページに)






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