月光天文台月光天文台

公益財団法人 国際文化交友会 月光天文台

野毛山より見降ろすみなとみらい地区(横浜市)の様子。
トップページ > 見聞録 > 『姿三四郎』-黒澤明監督と原作者・富田常雄に敬意を表して(その10-1)

※トップ画像は、野毛山より見下ろすみなとみらい地区(横浜市)の様子。

すぱあらの章(1)


春の夕立-1~2.

--港に群れた船も、見下ろす開港場の街も一様に春霞に溶けて、斜めに浴びた陽ざしが頬に熱かった。
出てゆくのか、入ってくる汽船か、夢にきくような汽笛の音が春の空に消え去ると、後は森閑とした
昼下がりの静寂が野毛山(のげやま)の大神宮のあたりを領して、小鳥の声さえしなかった。--


宿敵・檜垣 源之助との右京ヶ原での決闘に勝利し、修行の旅に出るべく紘道館を後にし、官設官営鉄道
で横浜へ、それから見送りに来た乙美とも別れた姿 三四郎は、伊豆分場を設立した戸田 雄次郎のもと
で暫く過ごし、雄次郎と連れ立って浜松から名古屋へ、大阪から広島へと旅を続けていました。

そして、修行の旅から今、横浜の野毛山へと三四郎は戻ってきています。掛茶屋の縁台に腰掛けながら、
三四郎は茶を飲みながら勧められた大福を頬張ります。斜に見える竈のそばには、小さなむく犬が他愛
なく眠っています。

この掛茶屋から下に、野毛山の大神宮が見えます。

開港場が横浜に出来て、外国人居留地に多くの外国人が住み、また近隣を外国人が出歩くようになって
から、横浜の様子のみならず、土地に住む者たちすらも変わって、信心深さがなくなって来た、と掛茶
屋のおばあさんは嘆きます。三四郎は、国のしきたりの違いのせいだろうとあまり気にしませんが、
おばあさんは、このままでは横浜が外国人に盗られてしまう、と横浜の運命を断じつつ、竈に薪をくべ、
寝そべっているむく犬に飯を食わないか、と呼びかけますが物憂くしっぽを振るばかりでした。


三四郎は、霞んだ横浜の街と海を見つめ続けます。遠くの丘の中腹に建つ新しい教会の屋根に立つ十字
架が、昼下がりの太陽光を反射しています。

広島まで赴き、帰って来た行程の疲れを感じつつも、三四郎は初めて東海道を下った経験や、出会った
もの、風物への興味や柔術を語り、柔術家と闘っては負けることなく、満ち足りた気持ちを味わいつつ
も、乙美への思慕の気持ちや、夢の中に現れた矢野 正五郎のことを思い出しています。

広島まで共に雄次郎と向かい、引き返してきた三四郎は、まだまだ伊豆・久連でやるべきことが残って
いる雄次郎と、沼津で一旦別れ、独りで横浜まで戻ってきました。

 
(野毛山公園の展望台よりみなとみらい地区の方向を見下ろす)


春日遅々たる野毛山の雰囲気は、三四郎に乙美のことを思い起こさせるものがありました。病床に
あった養父の村井 半助に託され、乙美に手渡そうとするもそのまま預かって欲しいと言われた守袋
を、ずっと持ち続けていました。乙美への愛する気持ちを抱きつつも、三四郎は武道修行において
女性が障害になることを感じていました。


(野毛山公園の入り口付近)


不意に、掛茶屋のおばあさんが頓狂でありつつも悠長に喰い逃げだと叫び、三四郎は我に返ります。
むく犬が起き上がると、ゆっくりと伸びをします。

三四郎は振り向き、野毛山を駆け下りていく若者の後ろ姿を見て事情を察します。その若者は、ヨシ
ズが立てかけられた縁台の端に腰掛けており、埃まみれの素足と冷や飯草履を身に着けていたのを目
にしています。茶店に入った時に一瞥したもののほとんど気にかけていなかった男が、雑草の生えた
野毛山の坂道を駆け下りています。

三四郎は身軽にその男を追いかけます。つられてむく犬も後をつけて駆けてきます。追いついた三四郎
が若者の肩をとんと押すと、勢い余って四つん這いになります。三四郎は滑らかに背中を膝で押さえ、
右腕を逆に極めます。草いきれの鼻を衝く雑草に顔を突っ込んだ状態のまま、なぜ逃げるのかと三四郎
は若者を質します。

むく犬が、彼らの周囲を回りながらしっぽを振って吠えていました。

その若者は金がないまま空腹をどうしようもなく大福を食べた、と思いつめた声で答えます。

三四郎は、涙を流して悪びれている若者に、東京に来たばかりの頃の自分のことを思い出し、代わり
に代金を払ってやる気になっていました。

この男の勘定を三四郎が払う、と茶屋に引き返しておばあさんに尋ねると、16個大福を食べた、良く
喰う奴だ、と笑いながら三四郎が払った代金を受け取ります。

 
(野毛山の中腹に当たる西区宮崎町の伊勢山王神宮の鳥居)


おばあさんの笑い声を背中に聞きながら三四郎は野毛山を降りていきます。


春の夕立-3~6.

三四郎は、野毛山から降りると夜を過ごすのに、宿を取ります。竹格子の嵌っている2階の窓からは、
夕日が照らす裏庭でじゃんけん飛びをして遊ぶ子供たちの様子が見えています。子どもたちはじゃん
けんに勝って飛ぶときの数え方をワン・ツー・スリーと言い、三四郎はそれを不思議な気持ちで聞い
ています。開港場の空気は子どもたちの遊びの掛け声にも浸透していました。

しかし、三四郎が泊まった宿は荒れ方がひどく、柱や鴨居は曲がり、壁がはがれ落ち、障子や襖も荒れ
放題でした。床の間の南画の山水画と長押(なげし)に掛けられた短槍が部屋の風情を感じさせるもので、
1尺(約30cm)ほど破れた床の間の隙間からは、階下の帳場が見えています。

宿の窓から夕方の空き地を見ている三四郎の部屋に、破れた障子をがたがたと言わせながら、一人の男
が「御免…」と声をかけて入ってきます。洗面所でよく見かけた顔で、頭は総髪、二重瞼の大きな目で、
薄い八字髭と顎鬚を蓄えた、三四郎より2-3つ年上と見える男です。

彼は、昼間は宿でごろごろとしており、夜になると五つ紋の羽織に4尺(約1.2m)の白い紐を首にかけ、
編み笠とステッキといういでたちで出かけるのを三四郎は見かけています。同宿の誼(よしみ)を通じに
来たが、入って良いか、と返事も聞かずに入ってきます。

入ってきたのは、真崎 東天、俗業はしていない、明治の浪人だと自己紹介し、三四郎も丁寧に頭を下げ
て自己紹介します。お互いに、好意を持ったようでした。


姿三四郎が柔道の修業の身で、矢野門下であることを東天が知ると、矢野正五郎は人物だ、と称えます。
欧化思想が蔓延する世の中で、古来の武術を修行する若者を見るのは痛快だ、と笑い、東天は話に花を
咲かせよう、と酒を飲むことを提案します。ただし、財布は部屋に忘れてきたし、持ってきたとしても
大して結果は変わらない、今日のところは君に頼む、すまんなぁ、と飄々と三四郎におごってもらうつ
もりでいることを明かします。

三四郎は床の間の破れ目からお金を落とし、帳場にいる宿の主人に酒を頼みます。東天は、酒の肴に刺
身や酢のものを頼もうとしますが、滞っている宿銭を払ってくれと言われ、藪蛇だと苦笑し、お香々で
良い、今夜の宴は姿君の招待だ、と弁解します。


酒とお香々が届くと、東天は胡坐をかき直し、機嫌の良い表情で武術を語ろう、と拳を三四郎の前に差
し出します。

東天: 君はこれを知っているか。
三四郎: 唐手ですか。
東天: うむ、唐手だ。僕は2-3年長崎にいて東京の事は知らないが、九州でこの唐手の怖るべきを見て
来たよ。一撃にして人を殺す拳法だ。
三四郎: 僕もきいていますが。

三四郎は、右京ヶ原での決闘で檜垣源之助と、まさに唐手と対峙していました。檜垣流唐手の一撃必殺
の凄まじさは三四郎も身をもって知っていますが、どの様にこの業を抑えたかは思い出せないままです。

東天の口からは檜垣源之助の兄弟の業の凄まじさを語ります。五寸釘を折り、煉瓦を割り、四分板を指
先で突き通す破壊力のみならず、彼らは人の1‐2人に足らず屠(ほふ)って来たはずだ、と看破します。

東天は、檜垣兄弟の陰気な気合と火のような眼に底知れぬ嫌悪感を覚えたと三四郎に語ります。武術家
は大別すれば陰と陽であり、檜垣兄弟は陰、三四郎は陽だ、と言うと、自分はまだその境地にない、と
三四郎がかぶりを振ります。


東天と三四郎の酒を酌み交わしながらの語らいが一段落した頃合いに、軒を叩く雨の音が響きます。ほど
なく、暮れかけた空に稲光が輝き、沛然として雨が降りこめてきます。

春雷が鳴り響く中、女中が徳利に沢庵の古漬けを持って2人の前に差し出します。東天は三四郎に酌をし、
自らは手酌で酒を飲みます。

東天からは、源之助の次兄の鉄心*と三男の源三郎の名が明かされ、それに比べると君はまだ甘い、と
言い、金主を酷評した、取り消そう、と明るい酒で座を和ませます。


*原作では檜垣兄弟の二男に当たる人物をこの個所では「源次郎」としています。後の『拳(こぶし)』の
節以降では「鉄心」としており、ここでもこの名前で統一します。


東天は、井上 馨の欧化政策とその象徴である鹿鳴館を批判し、今後の日本の運命を左右するのは清国だ、
と一席ぶちます。

時あたかも、日清戦争(1894(明治27)-1895(明治28))が始まる数年前のことでした。インドやシャム
(タイ)、フィリピンなど、東南アジアの安定に当時の清の安定は欠かせず、そのテコ入れのために自らが
動く必要がある、と述べ、東天は三四郎を清に一緒に向かおうと誘います。


東天は微笑しつつも心が激した様子で、それを隠そうと床にごろりと横になります。はずみで、空になっ
た徳利がドスンと転がります。暫く、彼は天井を睨むと、詩を諳んじ始めます。


児(じ)や茲(ここ)に去ること千万里
漂跡(ひょうせき)恰(あたか)も水上の萍(うきくさ)に似る
茫々たる天涯雁書(てんがいがんしょ)絶え
知らず何れの時か双親(そうしん)に侍(じ)さん
仰いで天に訴うるも天応えず
俯して地に訴うるも地声なし
彷徨(ほうこう)首(こうべ)をめぐらし見る所何ぞ
陰雲漠々漢水の浜


東天の吟じるその声は低くとも、その節回しには切々と胸に迫るものがありました。東天の目尻から幾筋
か、涙が流れます。起き上がって居住まいを正すと、これは東天の先輩である浦敬一がゴビ沙漠に姿を消
す前に賦したもので、彼に続いて、我々は前人未到の地を目指さなくてはならん、と熱く語ります。


やがて、雨が上がると、東天はこれまでなにをしていたかを三四郎に明かします。国民を啓蒙すべく辻に
立っていたところ、愛生社の壮士団体と、東天が属する青年倶楽部とが対立し、しばしば衝突して妨害を
受けたため、今夜まで休業していたと話します。三四郎に、一緒に来てもらって妨害する輩から守って
ほしいと願い出ると、三四郎は「お供しましょう」と二つ返事で受け合います。

東天が、奴らは命知らずの乱暴者だぞ、と念を押すと、三四郎の「しかし、人間でしょう」との言葉に、
東天は目をしばたたかせ、その一言が僕を唸らせる、と感に堪えない表情を見せます。

三四郎は、相手が人間である限り話せば分かるだろう、という意図で応えたのですが、東天は三四郎に
勝てる相手はそう多くない、と早合点したようでした。

場所は、伊勢佐木町の街中です。

 

 
(伊勢佐木町-イセザキモールにて・横浜市中区)


東天は、編み笠とステッキを持ち、懐には印刷物を入れていました。共に蔦座の表看板で照らされる場所
を選んで立ち、異様な風采にまず人が集まりだし、環に取り囲まれたところで演説を始めます。


東天が辻に立って節回しをつけながら歌う様子は、辻壮士と言い、通りがかる人たちに新鮮な感動と国威
の発揚を及ぼしていました。政談演説と日本の行く末を見越してのこれからの外交を論じ、最後に自らの
商売へとつなげています。

やがて、この騒ぎを聞き付けてきた、東天の"商売敵"である愛生社の壮士たちがやってきて、東天を排除
しようと実力行使に及ぼうとします。

東天は、君らの相手はこの姿君がする、と三四郎の方を振り返ります。三四郎は腕を組んで黙っていまし
たが、愛生社の6人の眼を一人一人見て、こけおどしに近いものと見抜きます。闘争の気概や殺気をまる
で感じず、やがて彼らに対する苦笑が漏れてきます。

改めて、三四郎は彼ら一人一人の眼の内を覗き、にやりと笑います。悪意によるものではなく、彼らの
意図を見抜いただけの三四郎なりの愛嬌がそうさせたものですが、愛生社の壮士たちはこれで完全に毒気
が抜かれ、木偶の棒のように突っ立ているだけとなりました。

三四郎は、東天に「帰りましょう」とゆっくりと言い、その場を離れます。


肩を並べて、東天は三四郎と歩きます。君は達人だ、と東天は三四郎を称え、どうしてです、と三四郎は
聞き返します。闘わずして勝った、達人の域だと東天が応じ、殴り合いが始まらなくてよかった、と三四
郎は返します。

三四郎が目指すのは柔道を通じて人間になることで、究極は柔道であると言い、三四郎を再び称えると、
東天は白馬に跨って帰ろう、と言います。

白馬とはどぶろくのこと。論じ疲れて、東天は喉が鳴るのでしょう。

やがて雨が本降りとなり、春雨にぬれて帰ろう、と東天は意気揚々と宿へと引き返していきます。



(次ページ「碧眼抄-1~3.」に続く)




<① <② <③ <④ <⑤

<戻る 次へ>


(参考文献は全て最終ページに)





picup