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『七人の侍』DVDと創作ノート
トップページ > 見聞録 > 『七人の侍』-黒澤明監督に敬意を表して(その1)


2014年は、黒澤明監督(1910.03.23-1998.09.06)が東宝にて『七人の侍』を製作・公開して
から60周年に当たる年です。

日本が太平洋戦争で米国などの連合国と戦い、1945年に終戦を迎えてまだその雰囲気が色濃く
残っていた1954年に、世界的に映画ファンを熱狂させることになった『七人の侍』が封切り、
上映されました。撮影日数は通常の4倍、予算は5倍という破格の規模となった映画は、黒澤監督
の映像作家としての良心から粘りに粘って撮られ、ゆえに当初の予算はすぐに底をつき、何度も
収録の中断を迎えるという事態に見舞われます。

しかし、だからこそ『七人の映画』は戦後映画の最高傑作となり、日本映画の黄金時代の代表的
作品として封切りから60年が経過してもその魅力は色褪せていません。

本多猪四郎監督(1911.05.07-1993.02.28)の『ゴジラ』が同じ年に公開されたのは必ずしも偶然
ではなく、どちらも公開とともに世界的ヒットとなり、映画製作会社としての東宝の雄飛のきっか
けになったとともに、海外でのリメイクもヒットするという副産物ももたらしています。
本多猪四郎監督は黒澤監督の友人でもあり、黒澤監督が映像制作にあたって迷った時は、本多監督
を自分に匹敵する才覚の持ち主としてその意見を迷わず取り入れたと言われるほどでした(黒澤監督
の初期作品『野良犬』では助監督ならびに主演俳優・三船敏郎の吹き替えを担当*、後期作品『乱』
では演出補佐をするなど、監督昇進前や東宝退社後にも影に日に黒澤監督に協力していた)。

*本多猪四郎氏が三船敏郎演ずる新人刑事の村上を吹き替えしたのは、拳銃を奪った犯人の手掛かり
を追って闇市の中を歩きまわる際の足取りをとらえた場面。

筆者のU.M.は、むろん黒澤監督作品のファンなのですが、何より興味を持ったのは、『七人の侍』
のロケ地が静岡県東部と伊豆地方を中心としていたという点にあります。とりわけ、そのロケ地の
1つの下丹那は月光天文台がある函南町桑原より指呼の距離に位置しています。日本映画の最高傑作
が月光天文台のすぐ近くで撮られたとあれば、やはり訪ねてみたいものです。

本稿は、公開されて、手に入る資料をもとに実際にU.M.が訪れた、『七人の侍』のロケ地の画像を
取り上げていきます。

静岡県・函南町下丹那(JR東海道線・丹那トンネルの直上及び下丹那入り口)

このページの2番目(記事としてはトップ)の画像は、熱函道路(熱海-函南間をつなぐ県道11号線)の
陸橋部分から見下ろした函南町・下丹那の様子です。遠景に、晩秋の雪をかぶった富士山が写って
いますが、この付近に『七人の侍』の中心舞台となった山村の全景をとらえるためのセットが建設
されていました。現在はJR東海道線の丹那トンネルの直上にあたる箇所で、映画冒頭の野武士たち
が馬に乗って食料を奪う相談をする場面と、村に雇われることになった侍たちが利吉らに連れられ
て見下ろす場面が収録されています。

『七人の侍』を収録するにあたり、中心的舞台となる山村の地理的条件として2毛作が可能な土地、
背後に馬が降りて行ける傾斜地のある山、村の前を小川が流れているということが必要とされまし
た。また、馬を使う場面が多用されるため、馬が容易に調達できることも重要な要件です。
 ロケ地を探してほぼ日本全国を探して回ったものの、そのような場所は見つからず、やむなく
村を東西南北と中心部分の辻にあたる場所を分割、撮影所のある世田谷区のオープンセットと矛盾
なく繋がるように日照条件や建物、出演者の衣装などにも気を配りながら撮影を進めていきました。



ここは、七人の侍たちが実地に村の地形を検分し、どのように野武士の来襲を防ぐかを確かめる
場面に出てきた竹藪の見える場所です。島田勘兵衛(演:志村 喬)が片山五郎兵衛(演:稲葉 義男)と
岡本勝四郎(演:木村 功)を引き連れ、手書きの地図を見ながら「もしもお主が野武士なら、この
村をどう攻める?」と敵の考えを確かめながら村を守る手立てを考える場面のすぐ後に登場して
います。
この背後に、熱函線が通っています(開通は1973年4月。『七人の侍』収録時はまだ作られては
おらず、現在の旧道にあたる11号線が使われていた。1997年12月より無料道路として開放され、
現在に至っている。旧道は現在も通行可能)。



ここは再び熱函道路の陸橋から南西方向を臨んだ画像です。この様に天気が良く、空気の透明度が
良い条件では山越しに駿河湾を見通すことができます。

『七人の侍』収録当時はあまり宿なども取れる場所が少なく、映画のスタッフや出演俳優さんたち
は近くの民宿などに分かれて宿泊し、撮影に通っていたと伝えられています。

映画の収録開始は1953年5月の田植えの時期であり、最初に収録されたのも農民たちが野武士たち
を撃退し、田植えにいそしむ場面でした。7人の侍たちのうちの生き残った3人の侍たちが、4人の
侍の葬られた墓を見上げる場面です(映画の終幕部分のシーン)。

月光天文台が発足したのは人類初の人工衛星スプートニクが打上げられた1957年で、最初は沼津市
の香貫山にありました。函南の現在の地に移転したのは1973年(開館は1975年)でした。

ロケ地が5つに分割されたのは、構想していたような地理的条件の村がスタッフのロケハンによって
も見つからなかったという理由のほかに、1950年代の食糧事情から、1つの村の農地を丸々映画撮影
のために使って農作業を停滞させるわけにはいかなったという背景もあったようです。ロケでの収録
にこだわった黒澤監督の強い意志が、大規模なオープンセットの建設や俳優の演技、かつらや衣服と
いった細かい部分にまで及び、神がかったような収録となりました。



参考までに、月光天文台の敷地から見た富士山と愛鷹山(あしたかやま-画面左側)です。富士山に
対する愛鷹山の位置関係は下丹那とほぼ同じで、その手前の送電線の相対的位置が若干異なって
います。



周辺情報…主要な観光施設としては酪農王国オラッチェ、伊豆半島北部を震源とする1930年11月
発生の伊豆北地震により形成された丹那断層があります。伊豆北地震は当時建設中だった丹那トン
ネルにも多大な影響を及ぼし、やむなくトンネル中央部でS字状に曲げて繋げる設計・建設工程の
変更を余儀なくさせられています。

*2015.03.10追記…1988.11.12に、月光天文台職員の大島 良明氏(当時)が発見した小惑星1988
VP3が、名称「丹那(Tanna)」を提案し、IAU(国際天文学連合)小惑星センタ(スミソニアン天体物
理観測所)に受理されました。小惑星番号は(14834)です。2015.03.05発行の小惑星回報92393に
掲載されています。命名理由として、丹那トンネル掘削工事を行なうに当たり測量を実施した場所に
ちなむこと、開通から2014年で80周年となること、『七人の侍(1954)』の映画ロケーション収録
が一部、この直上の土地で行なわれたこと、などを挙げています。


(この項、その2に続きます)


報告者: U.M. (月光天文台)


参考文献: 下記

『七人の侍』創作ノート(黒澤 明・著/野上 照代・解説/文藝春秋・刊)
『もう一度天気待ち』(野上 照代・著/草思社・刊)
『黒澤明と「七人の侍」』(都築 政昭・著/朝日文庫・刊)
『黒澤明 全作品と全生涯』(都築 政昭・著/東京書籍・刊)
『複眼の映像』(橋本 忍・著/文春文庫・刊)
「映画を愛した二人」黒澤明・三船敏郎(阿部 嘉典・著/報知新聞社・刊)

DVD『七人の侍』(黒澤明・監督/東宝株式会社)




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