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国立天文台・水沢観測所併設の木村栄記念館
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※トップ画像は、国立天文台・水沢観測所併設の木村栄記念館の入り口

岩手県花巻(宮澤賢治ゆかりの地)と国立天文台・水沢観測所夏の特別公開(その2)


8月19日、岩手県遠野市の宮守で、「めがね橋」を見た後に東北本線で水沢に移動、岩手県奥州市水沢
区のホテル(JR水沢駅前)で宿泊、8月20日に国立天文台・水沢観測所「夏の特別公開2016」の見学に
向かいました。

駅前のホテルから水沢観測所へは徒歩での移動でした。

街中には、市街区の案内板が主要な交差点付近に設置されており、観光施設に向かうのには大変助か
りました。

 

水沢観測所は、かつては「水沢緯度観測所」と呼ばれており、この案内板にもその様に書かれていま
した。

筆者は、野辺山宇宙電波観測所(長野県南佐久郡南牧村)にも複数回訪れています。筆者の居住地最寄
駅であるJR沼津駅から、青春18きっぷで当日中に往復できる場所であるために、日程が合えば出向く
ことも出来るのですが、さすがに岩手県だと日帰りとはいかないので、それが特別公開であっても参
加できない理由となっていました。

しかし、水沢観測所の重要性は、日本天文学会創立100周年記念公開講演会(2008.03.29)の聴講以来、
ずっと認識しており、いずれは行かなくては、と思っていました。今回が、その機会となったと意識
しています。

水沢公園内の散策や一宮陸中駒形神社への参拝をしながら、水沢観測所へと向かっていきました。

 

水沢観測所の正門です。ここから奥に入ると、観測所の本館や付属施設が見えてきます。

 

最初に向かったのが、本館のはす向かいにある木村 栄(ひさし)記念館でした。

ここは旧緯度観測所で、1899年に竣工した臨時観測所施設が1920年に正式な緯度観測所となり、
1966年に移築されてこの地に設置され、1988年に国立天文台の改組・発足により国立天文台の
施設となっています(2004年に大学共同法人 自然科学研究機構国立天文台が発足)。

国立天文台・水沢観測所の敷地内にありますが、この施設の管理者は奥州市となっています。
以前見たことのある資料画像と比べても、松の枝がかなり生い茂ってきています。

 

左画像は、記念館入り口に入って左側の廊下の様子、右側は木村 栄・水沢緯度観測所所長の事務机
です。原稿はコピーですが、そろばんや計算尺、小物入れは木村所長が使っていた本物でしょう。

実際に使われていた観測器具が展示されていますが、緯度観測所として最も重要なのは子午儀また
はそれに類する観測機器でしょう。

 

これは眼視天頂儀と呼ばれる光学観測器具(左写真)で、天頂を通過する星を記録し、その星の座標
から、最終的には何日も続けて観測して、地球の自転軸の傾きを高精度を求めていきます。それが、
緯度観測所の設置の意義であり、目的でもある訳です。右写真は、所長室を奥の通路側出入り口の
位置より見た画像です。


緯度観測所の設置に至るまで、また木村博士がどの様に観測して結果を出していったのか、簡単に
歴史を振り返ってみます。


1898年にドイツ・シュトゥットガルトにて、万国測地学協会が開催され、地球の自転軸の傾きを精
密に測ることが提唱され、経度を6等分した位置に観測所を設置することとなり、日本国内では、
水沢が指定されます。当時弱冠29歳の木村 栄博士が緯度観測所室長の任を与えられ、当時は野原
だった水沢に観測所を設置、地球の自転軸の揺らぎを恒星の位置観測から測る事業に取り組むこと
となりました。

日本は、それまでに度量衡に関わるような国際共同観測を行なったことがなく、ドイツ製の天頂儀
を導入するにあたっては観測もドイツ人技師に任せるべき、との意見があったもののそれは退けら
れ、日本人が自ら観測することになりました。

こうした、天頂儀を使った恒星の位置測定には根気が必要です。ましてや、水沢の緯度観測所の周
囲は原野であり、とても寂しい場所でした。冬場は、非常に冷える環境での観測だったはず。
そうして観測した結果をドイツ・ポツダムにある万国測地学協会中央局に送ったものの、他の観測所
(米国・欧州・ロシアなど)のデータとのずれが大きく、「日本の観測だけが誤差が大きく、理論値から
外れる」との非難を浴びるに至ります。

緯度計測値は、以下の式から求められるとされています。

⊿φ = X cosλ + Y sinλ

(ただし、XとYは時間の関数、λ(ラムダ)は観測所の経度、⊿φが緯度)

この数式で、木村博士の計測結果が合わず、日本のデータの質の悪さからデータ整理時にその重み
を半分とする、との通達がありました。

この決定には、当時の日本政府のみならず、観測結果に対する責任を持つ立場の木村博士も相当に
苦悩したようです。なぜこのようなデータとなるのか?観測装置や観測施設の入念な再点検を行な
い、誤差の原因を突き止めようとするも、なかなか究明には至りません。

木村博士は観測機器だけでなく、大気の状態も入念に確かめて観測を行ない、万全を期した観測を
積み重ねていくうちに得られたデータに間違いはない、との確信を深めていくことになります。

転機は、意外なところから訪れます。

木村博士はテニスが得意で、レクリエーションとして観測所の職員たちとテニスをし、コートから
自室に戻って机の引き出しを開こうとした時にひらめきを得ました。それまでに知られていた等式
に、観測施設の経度に依らないz項を加えれば、観測のずれを説明できることに気がついたのです。

新しい等式は以下の通りです。

⊿φ = X cosλ + Y sinλ + z


データの緯度変化に対応するずれを説明するz項(木村項とも)の発見は1901年、木村博士はそれを
論文にまとめ、1902年に発表されます。z項による観測値のずれは水沢のみならず、他の観測所で
のずれも見事に説明することが証明され、共同観測の期間延長とポツダム中央局のz項採用が決定
されます(1903年)。

水沢観測所のデータの重みも、0.5と世界最低だったものが1905年以降には世界最高の1.3にまで
引き上げられ、1922年には水沢緯度観測所が国際共同緯度観測所の中央局に認定されるという、
最高の栄誉を与えられることになりました。

水沢には、このz項発見の功績を称えるべく、zを付けた名称の施設や団体が存在します。奥州市文
化会館は「zホール」ですし、YACの水沢分団は「z分団」という名称です。


では、z項の正体とは何か?

木村博士自身はz項の機構を解明できませんでしたが、1970年に若生 康二郎(わこう こうじろう)
先生が流体核共鳴の影響としてz項の説明をしています。つまり、地球内部が熔けており、長い時間
スケールでは地球内部が流体として振舞うため、それによるふらつきで自転軸が揺らぐ、というもの
です。

こうした、地球内部の状態を推定するのはプレートテクトニクス運動の元となる地球深奥部のマント
ル対流や、地球の重力場異常の研究にも繋がります。水沢観測所にVERA(銀河系内の星の位置を精密
決定し、銀河の星の地図を作る)観測施設が作られたこと、或いは月・惑星探査で天体の地形や重力場
異常を測定するRISEといった研究機関が存在するのも、木村 栄先生や若生 康二郎先生の研究活動に
ルーツを求めることができる、ということになります。

RISEが開発した観測機器は、主として月・惑星の重力場測定や地形形状の精密決定するための装置が
主で、『はやぶさ』(2003-2010)『かぐや』(2007-2009)『はやぶさ2』(2015-)といった、小惑
星探査機や月探査機に搭載されています。


 

1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の水沢での揺れを記録したデータも展示されてい
ました。水沢観測所でも、地震観測を行なっていたため、こうした地震観測のデータも残されて
います。

 

記念館の最後の部屋、木村 栄博士の所持品や遺品の類が展示されている部屋に入りました。木村先生
の手による揮毫の掛け軸や、ステッキ・帽子などがガラスケース内に収められています。この部屋では、
木村博士の肉声の音声記録も視聴できるようになっています。


 

ノートに感想を記帳し、記念館を退出しました。


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報告者: U.M. (月光天文台)


(参考文献などは最後のページに)






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