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鎌倉市の江ノ電沿線、高台より富士山方向を臨む
トップページ > 見聞録 > 『天国と地獄』-黒澤明監督に敬意を表して(その7-1)

※トップ画像は、鎌倉市腰越の満福寺境内より富士山及び東浜方向を見た様子。

腰越の高台・別荘地(江ノ電沿線)-鎌倉市腰越(富士山・海岸が見える高台)

(前回からの続き)

「お父ちゃーん、お父ちゃーん。ここだよー!」

石垣の上から柵越しに、進一少年が青木に呼びかけます。田口刑事と荒井刑事は共犯者のアジトだと
直感、ピストルをズボンのポケットから取り出すと、階段を駆け上がっていきます。青木が2人の刑
事の後を追います。


駆け上がった柵越し、この場面に登場する3人の大人たちの背後には、東浜から片瀬に繋がる弓状の
海岸と、その遠景に富士山が映し出されています。




荒井刑事と田口刑事は柵や花壇の花などの背後に身を隠しながら家に気配を消しつつも接近、共犯者に
悟られないようにしています。花壇の向こうには、腰越の海が太陽光を反射させ、明るく輝いています。

一方、進一少年はその家の近くにさほど警戒心を抱かず、家の中の様子を見つめています。

荒井刑事は青木を後ろ手に後退させると、様子を伺いつつ花壇の花の後ろ側に隠れながら、家の様子を
探ります。青木も、田口刑事もすぐには家に近寄りません。

中の様子を見つめている進一少年、「おじちゃんもおばちゃんも眠っているよ」と花壇の方を振り返り
ながら大人たちに話しかけます。

すぐさま荒井刑事が反応、家の西側の壁に寄りつき、田口刑事は南側に回り込みます。青木は進一少年
を抱きながら、家から素早く離れて家の中から見つかりにくい位置にまで下がります。

荒井刑事の視線の先には、家の中で床を延べている男女の足が映し出されます。荒井刑事は構えたピス
トルを空の方に向け、中を伺いつつも更に見えやすい位置に動き、じっくりと中の様子を観察します。


家の中に吊り下げられた蚊帳が、吹き込んでくる風に揺れ動きます。

荒井刑事は緊張を解き、右のポケットにピストルをしまうと、左側のポケットからハンカチを取り出し、
鼻を押さえる仕草をします。

家の南側に回り込んだ田口刑事が視界に入ってきます。風上側にいるので、田口刑事は鼻を押えたりし
ません。荒井刑事も田口刑事のいる南側の方に歩いていきます。

田口刑事もおもむろにポケットにピストルをしまうと、青木を手招きします。

「子供を向こうへ連れてけ…2人は死んでる」

青木は田口刑事のセリフに驚き、暫く家の中にいる2人の男女の様子を見つめると、慌てて進一少年のい
る場所へと駆け戻っていきます。

呆然として死体となった共犯者の男女を見つめていると、遠くから電車の通過音が聞こえてきます。荒井
刑事は振り返り、高台の上から音が聞こえてくる方向へと足を運び、崖の上から覗き込みます。



上の画像だと少々見づらいですが、中央やや下に江ノ電車両が通過しているのが見えます。まさに、
この場所からの江ノ電車両の通過する背景音が入って来たことが証明された場面です。


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実はこの場所、正確には「その6」の場面で2人の刑事が見上げる崖の上の高台ではなく、満福寺の境内
の西側端に当たる場所で、ロケ地として実際に使われた場所とされています。



こちらが、満福寺の入り口で、江ノ電腰越駅のすぐ東側、踏切を渡ったすぐ先が境内ならびに山門へと
繋がる階段になっています。まさに鎌倉に近い江ノ電沿線らしい光景です。

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場面はワイプで切り替わり、神奈川県警の警察署内部の大部屋へと場面が切り替わります。「その4」
「その5」で取り上げた、捜査会議に使われた同じ部屋が、記者会見場として使われています。煙草
をくゆらせながら、新聞記者たちが雑談をしつつ、会見が始まるのを待っています。



奥の出入り口から4人の私服警察官たちが入ってきます。捜査本部長(演:志村 喬)、捜査一課課長(演:
藤田 進)、戸倉警部(演:仲代 達矢)、田口刑事(演:石山 健二郎)です。会見場で待機している記者たち
に、捜査本部長が「いや、どうも御苦労さん」と労いの声を掛け、立っている人は腰掛けてくれ、と
手真似で指し示します。

上席には、捜査本部長を挟む形で戸倉警部は向かって左側、一課長は右側に着席します。キャリア組
は着席、ノンキャリアの田口刑事は立ったまま会見の補佐を務める格好です。

「何の発表です?」という会見の意図をいぶかう問い掛けが、記者A(演:三井 弘次)より発せられます。
捜査一課長は「今、戸倉警部から詳しく説明します」と問い掛けに答え、「ただし、これは発表して
戴かない為に、お話するんです」と捜査本部長が続けます。

ますます、会見場にいる記者たちは不思議そうな表情で3人のキャリア警察官たちを見つめます。


戸倉警部が、捜査の進捗状況について説明を始めます。

「え~、今日、例の共犯者の男女2名の死体が発見されました(記者たち、これに反応して大急ぎでメモ
を取る)。…2人とも、ヘロインによるショック死です!」

「事故死ですか?」--記者B(演:千秋 實)が問うと、「は、今説明します」と戸倉警部は手元の資料を参
照しながら死体発見の経緯について説明を始めます。


発見された男女は、腕の静脈におびただしい注射の跡があり、強度の麻薬中毒者であることが窺われま
した。ヘロインの量を間違えるという様なことは、麻薬のことを知悉しているハズの人間にはありえず、
密売人もそのように効き目が強すぎるものを売るとは考えにくい。2人は床を延べ、枕に頭を乗せた状
態で発見されていました。その枕元には麻薬の包み紙とそれを溶かすための水が入ったコップ、注射器
などが置かれているのが見つかっており、麻薬の包み4つを入手した2人はそれを楽しむ為に2つを開け
たとみられ、状況的に自殺を図ったようにも考えられません。

未使用のヘロインを分析したところ、濃度は特別に濃く、通常は仲介人の手を経るうちに混ぜものが加
えられ、末端に渡るときは純度が30%程度にまでなるのに対して、死んだ2人の手元に残されていた麻
薬は90%という純度の高いものであることが判明しました。

濃度の薄い麻薬に慣れ、またそれを常用していた中毒者に3倍も濃い麻薬を与えたらどうなるか?これ以
上巧妙な殺人はなかろう、と戸倉警部は推測しました。

それを裏付ける資料がある、と部屋の電気を消すように命じ、OHPで遺留品である便箋の筆跡痕を会見
場の記者たちに示して見せます。ボールペンでぐいぐいと強く書きなぐった跡が見られました。手に負
えないような禁断症状が共犯者に起きていたことを窺わせる筆跡となっています。

「『ヤクをくれ、ヤクを早くよこせ、くれなければ あの金を使うぞ もうお前の云うことは聞かない』
か」--記者C(演:北村 和夫)がOHPで投影された便箋の内容を読み上げます。

共犯者が主犯に出した、ほとんど脅迫に近い内容の手紙の内容が明かされ、記者たちもその状況を理解し
ました。

「だから殺したんですね?」--記者Aの問いに「断定はできません、しかしその公算は大いにあると思い
ます」と戸倉警部が答えます。

「金はありましたか?」--記者Bが問うと、共犯者に渡された身代金の一部、千円札で250万円があり、
控えていた紙幣番号と全て合ったことが明かされました。これにより、死んだ男女が浅間台誘拐事件の
共犯者であることも同時に証明されました。

主犯は、警察に知らせるなと権藤を脅迫、捜査から逃れるべく心理的な箍(たが)を嵌めようとしていまし
たが、同時に共犯者の線から足がつくことを予見し、それ故に当面の間、報酬として渡したお金を使う
ことを禁じたのだろう、と戸倉警部は続けます。そのことが、OHPで投影した共犯者から主犯に宛てた
手紙の文面から読み取れるからです。

「で、共犯者の身元は分かりましたか?」--記者Cが質問します。「共犯者は別荘番をやっていたんです」
と戸倉警部は応じます。捜査班が別荘番の雇い主である別荘の所有者に照会を行ない、身元はすぐに割れ
ました。

ここで記者Aが再び質問します--「じゃあ、いよいよ追い込みっていう訳ですね?」
戸倉警部は苦笑しながら、「いや、振り出しに戻ったようなものです」と応じます。麻薬課も全力で捜査
を進めており、そこから有力な情報やデータも得られるであろうが、共犯者の死は捜査において大きな打
撃をもたらす結果でした。共犯者の死は、主犯に繋がる直線を断ち切られたということを意味しています。

この説明に、会見場の記者たちから落胆のため息が漏れてきます。



戸倉警部は、右隣にいる捜査本部長と視線を合わせると、立ち上がりながら記者たちに捜査本部としての
希望を伝えます。警察と憎むべき誘拐犯人との、頭脳戦に繋がる情報戦を仕掛けようとする戸倉警部の強
い意志が明らかになっていきます。


戸倉警部: まあそこで、お願いする訳ですが…ただいまお話した全ての事実を、発表しないで戴きたい。
記者A: (会見場にいる記者たちの表情を窺いながら)なぜ?
戸倉警部: (記者たちにゆっくりと近づき、テーブルに手をつきながら)主犯は、共犯の死を確認していな
い。えー…共犯の死後、主犯が少しでもその場所にいる機会があったら、重要な証拠になる250万の金を
残しておくはずはないからです。
…ところで、主犯に共犯の2人がまだ生きているかも知れない、そういう疑問を抱かせたらどうするで
しょう?あれが殺人だったら、主犯はおそらくもう一度、2人の命を狙うでしょう。いや少なくとも、死
んだはずの2人が、いつまでも新聞の記事にならなかったら、主犯はもうじっとしていられない。2人が
どうなったのか、調べに来るに違いありません。


会見場にいる記者たち、非常に重要な作戦を明かされていることに息を呑むような表情を見せます。


記者B: なるほどねえ…。そこでパクるって訳ですか。
戸倉警部: まあそうです。
記者A: でもねぇ、我々に発表を禁じても、共犯の死は隠しきれないんじゃないですか?(記者Cも隣で
うんうんと頷く)近所隣りの噂ってこともありますしね。
戸倉警部: その点は大丈夫です。…幸いあの別荘地帯は、新しい分譲地で家もまばらにしか建っていない、
えー、また今はシーズンオフで、人口密度が極めて少ない。その上彼らは、中毒者特有の用心深さから、
近所づきあいもなく、御用聞きなども寄せ付けていません。
記者C: しかし2人の死を隠しただけで、果たして主犯は2人が生きていると思いますかね?(記者B、疑問
を発する記者Cの表情を見た後、戸倉警部の表情を見ようとする)


記者Cが当然の疑問を発し、笑い声をあげます。戸倉警部は記者Cの疑問を肯定、良い視点だ、と持ち上
げるとその狙いを明らかにします。


戸倉警部: そうです(再び捜査本部長と視線を合わせる)。まあそこで、もう1つお願いがあるんです。今日、
手配中の千円札が、某方面で使われたということを記事にして戴きたい(記者たち、驚く)。いやこれは、
捜査本部の発表という形で結構です。ま、大変押しつけがましいお願いですが、権藤さんの為にも、一つ
ご協力願います。権藤さんはその後、常務の地位を解任され、工場担当の仕事からも締め出されたことを
ご存知ですか?
記者A: へぇ~、ひでぇもんだなぁ。世論なんかなんとも思っちゃいないんだね?
記者C: この調子だと、今度の総会で、権藤氏は完全にあの会社からおっぽり出されるぜ!
記者B: でも、うめぇなぁ、全く。抑えた記事の穴埋めに、ナショナル=シューズを叩かせようってんでしょ?


戸倉警部、図星を突かれた人が良くやるように破顔一笑し、記者Bも追従笑いをします。会見場にいる記者
たちにも笑いがさざ波のように広がっていきます。


記者A: しょうがねぇ、盛大に、叩くか!


戸倉警部の頭脳戦に、新聞記者たちが大いに湧き上がり、協力の意志を見せ、団結します。戸倉警部は、
記者たちが見せてくれた心意気に感謝して頭を下げます。


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この記者会見の場面には、ノンクレジットではありますが名優・大滝 秀治(1925.06.06-2010.10.02)
もセリフのない記者として出演しています。

また、本作では記者Bとして黒澤監督作品常連俳優である千秋 實(1917.04.28-1999.11.01)も出演し
ています。千秋 實の黒澤監督作品への出演は特に映画史に残るもので、『野良犬』(1949)のレビュー
劇場付き演出家役としての初出演を皮切りに、『羅生門』(大映・1950)の旅法師役、『生きる』(1952)
の市役所職員・野口役、『七人の侍』(1954)の侍・平八役、『蜘蛛巣城』(1957)の三木義明役、『隠し砦
の三悪人』(1958)の百姓・太平役など、9本の黒澤映画に出演しました。『天国と地獄』では記者会見場
に詰めた新聞記者役としての出演のみで、本作で黒澤監督作品出演は最後となりました。
千秋 實は他の映画やTVドラマにも多数出演、1975年に脳内出血で倒れるも、リハビリを経て1976年に
再起をしています。

1999年11月の千秋の死は、『七人の侍』の中の最後の侍の死、と表現され、惜しまれました。劇中では
最初に死んだ侍が、実生活では逆の順に侍を演じた役者たちが亡くなっていき、千秋が生き残った最後の
侍を演じた役者であったことも記憶されています。





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