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横浜市南区の、電話ボックスセットが設置されていた付近。
トップページ > 見聞録 > 『天国と地獄』-黒澤明監督に敬意を表して(その4-1)

権藤金吾邸-横浜市南区南太田(第3のセット)/同南区吉野橋付近(権藤邸を見上げる公衆電話ボックス)

物語は映画の中間部である、国鉄第2『こだま』での酒匂川鉄橋における身代金受け渡しを経て、社用
運転手である青木の一人息子・進一が無事に解放されたことを受け、後半部分に入り、公開捜査に切り
替わって捜査員たちが権藤邸周辺の様子から探索を始める場面となります。

事件名は「横浜市西区浅間台誘拐事件」、これまでは、捜査員たちも息をひそめるようにして、権藤に対
する連絡に犯人が使って来た公衆電話を邸宅内から探っているだけでした。しかし、人質の少年が無事
に戻ってきているので、捜査活動も足を使った洗い出し-いわゆる地取り・鑑取りと呼ばれる活動-へと
移行しています。

権藤邸が見える公衆電話ボックスを確認しているのは、中尾刑事(演:加藤 武)と荒井刑事(演:木村 功)の
2名でした。

まず、権藤邸の外観がアップで写され、ついで中尾・荒井両刑事が公衆電話ボックスから権藤邸を見上げ、
犯人からのこれまでの電話の内容から推定される条件に合う公衆電話の位置の割り出しをしています。


権藤邸のセットは、全部で3つが作られています。

夜間ないしカーテンを閉めた状態での室内のやり取り中心の場面は主として東宝スタジオ内のセットで、
権藤が窓を開けたり、権藤邸に出入りする関係者が窓の外の様子を見る(窓外の様子を見下ろす)ような
場面では横浜市西区浅間台に作られたセットで収録されました。

そして、3つ目のセットが今回取り上げる、横浜市南区南太田の、京浜急行線南太田駅付近の高台に置か
れていました。



セットのあった場所は、現在は首都高速狩場線があるために若干見づらい条件になっています。その跡地
に建てられたものか、常照寺というお寺があり、その鐘突き堂のあたりが権藤邸のセットのあったあたり
です。

つまり、映画では横浜の街並みを見下ろす(権藤の視点)場面を浅間台のセットで、丘の上を見上げる(犯人
の視点)場面では南太田のセットを、という具合に使い分けていたことになります。主として、権藤邸の
外観を見るためのセットでしたが、子供たちがサロンで遊んでいる様子も写っていたので、少なくとも街
に面している部分は作り込んであったのでしょう。


電話ボックスの中から、中尾刑事が権藤邸を電話をかける姿勢で双眼鏡を使って覗き込んでいます。荒井
刑事は、中尾刑事が権藤邸を覗く様子を見守りながら話しかけます。


荒井刑事:サロンの中は良く見えるか?
中尾刑事:今までの中じゃ、ここが一番良く見える。
荒井刑事:(中尾刑事から手渡された双眼鏡で権藤邸を観察して)…すると、土地勘は充分だな。
中尾刑事:(荒井から返された双眼鏡をケースにしまいながら)しかしあれだけのヤツだ。ねぐらのそば
の電話なんて使うかな?
荒井刑事:(ノートを一瞥して)さ、次行こう。


トップのカスタムメイン画像及び下の画像は、電話ボックスセットがあった場所に一番近い、現存する
実物の電話ボックスです。吉野橋の橋のたもとにあり、やはり首都高狩場線が建設されたために権藤邸
セットがあった場所を見通すことは不可能となっています。




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画面はワイプで、中尾・荒井両刑事が連れだって歩く場面へと切り替わります。

中尾刑事はノートにこれまでの捜査のメモを歩きながら書き込み、荒井刑事は汗をハンカチで拭きなが
ら道を歩いていきます。川越しに、「横浜容器株式会社」の看板が見え、どこからかラジオ放送で「朝
のミュージックプレゼント」の女性の声が響き、続いてクラシック音楽が鳴り響きます。フランツ=シュ
ーベルトのピアノ五重奏曲(D550)『ます』です。

荒井刑事が、丘を見上げながら中尾刑事に話しかけます--犯人(ホシ)の言い草じゃないが、ここから見上
げるとあの屋敷はちょっと腹が立つなぁ!全く、お高く構えてやがるっていう気がするぜ!

カメラはここで視点が上がり、川面を映し出します。大量のごみが浮かび、まさに土地の低さだけでなく、
この付近の生活レベルも低いことを現わしているかの様子です。そこにかかる音楽が、清流を象徴するか
のようなシューベルトの『ます』…。黒澤 明監督がしばしば映画の中でやる、映像と音楽を対比させ、沈
滞する気持ちを強調させる対位法-コントラプンクト-の手法です。

そして対岸に視点は移り、中尾・荒井刑事は捜査を続行、画面外に出ていきます。次いで若い男性が小脇に
新聞を抱え、肩をそびやかす様に歩く様子がまず川面に写り、それからその男の生身の姿を映し出します。
貧民窟のような環境で過ごし、ゆえに性格がねじ曲がった犯人という図式です。

狭い路地を通り抜け、道を曲がり、やがてアパートにつくと階段を上がって2階の部屋に入ります。

部屋に入った男は、しばし窓の外を見つめると窓を背にしておもむろに、脇に抱えていた新聞を広げて記
事のチェックを始めました。

新聞の広げたページの見出しは「空前!巧妙な誘かい事件 こだまを利用」、小見出しとして「三千万円
の身代金-走る列車の窓から投下」「恨みからの犯行?-電話であざ笑う男の声」とあり、身代金受け渡し
場所となった酒匂川鉄橋に印入りの空撮写真が映し出されています。


もちろん、この若い男(演:山﨑 努)は進一少年の誘拐犯人です。まだ、この時点で名前は明らかになって
いませんが、捜査員と街中でニアミスしてはいるものの、まだ犯人の正体は分からず、犯人はほくそ笑ん
でいる、そういう図式を映像的に表現しているようです。

ページを繰ると、「運転手の子供を人質に」の見出し、小見出しには「三千万円ゆすりとる-横浜 靴会社
重役から」「特急の窓から全財産!-破産を覚悟の権藤氏」とあり、その見出しを見ながらその男は満足げ
な表情を浮かべます。

新聞の記事も、警察が全機能を上げて捜査に取り組んでいることを明らかにしており、犯人像が明らかで
ないことから、追及の手はまだ及んでいない--それを確かめて、彼は満足げな様子でした。

しかし、血の繋がりのない進一少年のために犠牲的行動を取った権藤を称えるような新聞の見出しに、男
は意外そうな表情を見せます。

「人違い誘かいで三千万円ゆする」「走る『こだま』を舞台に -横浜 子供と身代金を交換」「破産を覚悟
の権藤氏 -三日ぶり 相抱く運転手親子」「権藤さんを救え! -全国から激励電報の山」--犯人にとっては、
権藤氏のような丘の上にお高く構えている金持ちを憎悪の対象としており、それに同調する様な論調の記事
が出ていないことが些か意外に感じられたことのようです。

彼は、机の上に置いてあるラジオのスイッチを入れます。ニュースの音声がスピーカから鳴りだします。

「捜査本部の発表によりますと、犯行の動機は、単に金だけが目的とは思われません。犯人からの電話の
言葉には、多分に嫌がらせの調子がある。権藤氏に対する、何か異常な憎悪というようなものが感じられ
るのです。…つまり、犯人には、金を奪うだけではなく、権藤氏を苦しめ、それを嘲笑おうという底意が見
える。しかし、権藤氏の犠牲的行為を、世間は見逃してはいません。権藤氏に対する同情の声は、いつしか
称賛の声に変わり、いまや非常な反響を呼んでおります。犯人はこれをどう感じているでしょうか。犯人が
もしこのラジオを聞いているなら、わたくしはこう言ってやりたい、いまや、権藤氏が君をわらう番だ!」

犯人であるこの男は、まさにこのラジオの音声を聞いており、さほど深く感慨にふけるでもなく、すぐに別
の局に切り替えました。切り替わった番組から、シューベルトの『ます』が鳴り響きます。

彼は暫く考え込む表情を見せると姿勢を変え、半開き状態のカーテンを開き、窓を開けて双眼鏡で権藤邸の
様子を観察します。彼のねぐらはかなり権藤邸に近く、ゆえにほぼ常時、アパートにいるときは権藤邸を見
上げているのでしょう。


さて、公衆電話を歩いて確認している中尾・荒井両刑事の場面で、荒井刑事が「ホシの言い草じゃないが…」
との皮肉を言う場面は、元は中尾刑事のセリフとなっていました。数回撮り直しになってもうまくいかず、
試しに木村 功がやって見ると一発OK!実は黒澤監督のキャラクタ設定ミスで、本来の性格からも荒井刑事
のセリフとすべきところだった訳で、中尾刑事役の加藤 武にとってはとばっちりのようなこととなってし
まいました。

また、どぶ川に犯人役の姿が映る場面での使用曲は第一候補がブラザーズ=フォアの『グリーンフィールズ』
とされていたものの、あまりにも犯人の身の上が可哀相な雰囲気となってしまい、犯人が同情され過ぎては
困るのと、著作権の問題から第二候補の『ます』に変更されたとのこと。この『ます』のスピーカ越しに現
実音として響かせるために、電気店のセットをこの付近に組んだ様です。

ラジオ番組での、アナウンサーの声は当時の現役のアナウンサーである田 英夫氏(1923.06.09-2009.11.
13)が起用されました。田氏はJNNニュースコープの初代キャスターであり、政治家に転身した後も参議院
議員として長く活動をしていました。

どぶ川とされたのは大岡川であり、前述の吉野橋の西側の路地に面しています。本来はこれほど汚れている
訳ではなく、演出上の理由で「汚し」が行なわれました(横浜市の関係部署にも、収録するにあたって収録後
に現状復帰する条件で許可を得ていた)。しかし、最初は汚し方が充分でない、と黒澤監督は烈火のごとく怒
って帰ってしまい、収録延期となり、徹底的に汚しを行なってやっとOKが出たとか。中途半端を嫌う黒澤監
督らしいエピソードです。

劇中の、「横浜容器株式会社」があった辺りの現在の様子です。



この画面中央部の茶色い外壁マンションが、「横浜容器株式会社」のあった辺りです。手前側の路地が、
中尾・荒井両刑事が歩いていた辺りですね。権藤邸があった辺りは、このマンション自体が視界を遮って
おり、それでなくても首都高速があるので見ることが最早出来なくなっています。大岡川も、堤防が嵩
上げされていますね。治水対策もあって、この様になっているのでしょう。ただし、良く見ると、収録
時期である1962年当時の川べりのコンクリート法面も残っており、完全に当時の様子が失われたという
訳でもないようです。



京浜急行線南太田駅のやや東寄りから見た、権藤邸南太田セットのあった辺りをとらえた画像です。首都
高速より北側であれば、何とか権藤邸セットがあった辺りが見える条件となります。



場面は切り替わって、酒匂川鉄橋を渡る様子を権藤邸内で映写、犯人の手掛かりになる様な、接点が権藤
邸の家人にあるかどうかを確かめる場面へと変わります。



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