月光天文台月光天文台

公益財団法人 国際文化交友会 月光天文台

JRの小田原行き車両から見た酒匂川鉄橋西側の堤防付近の画像。
トップページ > 見聞録 > 『天国と地獄』-黒澤明監督に敬意を表して(その3-3)
(トップ画像は酒匂川鉄橋西側の堤防付近を小田原行き普通電車の車窓から見た様子)


特急『こだま』を利用した撮影計画の立案まで

以下、『天国と地獄』の白眉となる、特急『こだま』を使った撮影計画立案に至るまでの経緯を取り上げ
ていきます。

特急『こだま』のシーンは、前半の密室劇から後半の捜査を中心とした誘拐犯追及劇へと繋いでいく場面
です。交響曲でいう緩序楽章の様なもの。当初は、ここをスクリーン=プロセス(背景になる実景を先に収
録し、それをスクリーンに映して俳優がその場面を演技する様子を撮る手法)で収録する案を黒澤監督は持
っていました。

しかし、黒澤監督は実際の列車車両に乗って見て、列車の金属などに映る背景が全て流れていることに気
が付き、スクリーン=プロセスでこの実感は出せないことに気が付くと、スクリーン=プロセスによる収録
案を早い段階で捨てる決意を固めます。

黒澤映画でメインのカメラを担当してきた中井 朝一カメラマンは監督からの相談を受け、列車の一部を
借りて少しずつ撮り足していく方法にならざるを得ない、と考えていました。また、これはそれまでの
映画界の常識に近い撮影プランでもありました。

しかし、黒澤監督の案には誰もが度肝を抜かれることになります。列車を丸ごと借り切って、全ての場面
を一挙に撮り上げる、というのです。

これには、シナリオ執筆の過程からも、ある意味では必然に近い成り行きだった、と言える部分もあり
ます。




『天国と地獄』の原作であるエド=マクベインの『キングの身代金』では、誘拐犯はアマチュア無線を使っ
て身代金の受け渡しを指示、身代金を要求されていたダグラス=キングは自動車電話で誘拐犯からの指示
を受けて受け渡し場所に向かうという筋書きになっています。

このアイデアは大仰であるだけでなく、1960年代当時の日本国内で自動車電話はそもそも実用化されて
おらず、あまり現実的ではない、と脚本家たちは考えていました。

黒澤監督の着想は、ここでも天才的な、非常に光り輝くものを見せます。特急『こだま』に車内電話がある
こと、走る特急への車内に電話をかけるにはマイクロ波を使った中継設備を経ることなどから、身代金受け
渡しの場面には当時の国鉄の最速列車だった『こだま』を使えば良い、と思いつきます(これは後の捜査に
繋がる伏線ともなっていきます)。

なお、この特急『こだま』を身代金受け渡しの舞台として使うという着想は、熱海の来宮にある旅館で得ら
れたもの。なかなか良いアイデアが浮かばないとき、気分を変える意味も含めて初春の日差しを浴びながら
考えてみようと旅館の芝の庭にテーブルと椅子を出し、そこに腰掛けて考えを絞ろうとしました。しかし、
まだ肌寒い時期でもあり、寒風に吹かれて体が冷え切ってしまい、ほうほうの体で庭から引き上げ、風呂に
入ったそうです。この、さんざんに考えた末、風呂に入ってリラックスした時に『こだま』のアイデアが
浮かんだとのことで、これはギリシャの王様に傷をつけずに王冠がニセモノであることを調べる手立てを
考えよ、と命令され、体積と浮力の関係からその方法を思いついたアルキメデスの着想を地で行くような
エピソードです。

『天国と地獄』の脚本家は小國 英雄/菊島 隆三/久板 栄二郎/黒澤 明の4名でした。

しかし、このアイデアを映像として表現するためには、身代金の受け渡し場面にも奇想天外な発想が必要
でした。知られているように、特急列車は安全上の問題もあって客車の窓は開閉できません(その代わり
に、客車内は冷暖房完備だった)。どこか開く場所がないか、と脚本執筆陣たちは国鉄に電話で問い合わせ
をします。

一方、問い合わせを受けた国鉄側はそっけなく、「『こだま』車両に開く窓はありません」とにべもあり
ません。

ところが、その電話でのやり取りの翌日、国鉄側からこの回答の間違いを訂正する形で、実は2等車洗面所
の窓なら内側に開く構造になっている、との連絡が入ります。実に際どいところで、このアイデアが繋がり
ました。

このことに関して国鉄は非常に協力的で、なんと特急『こだま』の車両設計図まで映画製作側に提供して
います。もっとも、内側に開く窓というのが10cmとあり、実際の車両で確認したら7cmしか開かなかっ
た為、身代金受け渡し用の皮鞄を作り直すという事態にもなりました。
モノづくりにおいては時々あることですが、設計の段階で決めたサイズなどがうまく合わず、製造の現場
で手直しをして対応はしたものの、設計図にフィードバックするのを失念した、ということなのでしょう。
国鉄側のミスですが、皮鞄は特注だったため、担当だった助監督の出目 昌伸氏は窓枠に挟まって脚本通り
に鞄が落ちないことに慌てたそうです。本番まで1週間ほどの猶予があったため、作りなおして事なきを
得ましたが、肝を冷やすような出来事でした。


撮影プランを練るにあたり、黒澤監督は国鉄が提供した特急『こだま』の車両設計図と、東海道線沿線の
地図を見ながら、身代金受け渡し場所としてどこが良いかの検討も進めていました。横浜からあまり離れ
ておらず、誘拐犯ならばあまり人目につきにくい、民家が少ない場所として川の鉄橋付近を考えるだろう、
と候補地が地図を使った検討で2ヶ所に絞り込まれます。この時点では、平塚の脇を流れる相模川と小田原
手前を流れる酒匂川が候補となっていました。

実際には、相模川の川筋付近では東海道線に並行して馬入橋がある関係で交通量が多く、撮影には不適切
として候補から脱落します。残るは酒匂川鉄橋付近のみ。誘拐犯からの電話で洗面所の窓を確認し、また
交換条件として権藤が示した「子供が生きていることを身代金を渡す前に確認する」条件で東側の鉄橋の
たもとで子供を見せ、鉄橋を渡り切った場所で身代金が入った鞄を窓から投げる、という条件にも合致し
ています。

身代金を詰める鞄や、鞄の中への札束の並べ方、特急『こだま』の窓から鞄を投げ落とす、といったアイ
デアの骨格は、全て黒澤監督が考え出したものです。全くもって、これほど天才的な着想を次々に出した
というのですから本当に感心させられます。

こうして、収録のおぜん立てと脚本の骨格が固まっていきました。


次に、特急『こだま』での収録場面と、そこに至るまでのエピソードです。

特急『こだま』を丸々借り切り、第2『こだま』に仕立てる契約に当たり、国鉄との交渉をしたのは製作主
任の根津 博でした。料金については列車全車両定員分の乗車券の料金を支払い、熱海までの片道分で良い、
帰りは回送になるのでその分の料金は不要、ということになりました。実際に乗客を乗せて列車が走って
いる過密ダイヤを縫って『こだま』の貸し切り列車が走るため、何度もやり直しはできません。
ほぼ、一発勝負で決める必要がありました。


※1960年において、特急クロ151形の料金は1等特急料金が通行税込みで1920円+特別座席料金1800円、
東京-大阪間1等運賃が通行税込みで2380円とあります。計6100円です。1960(昭和35)年の大学卒業者
初任給は男性13080円・女性12520円とのことですので、ほぼ1往復で初任給を使い切る計算です。当時の
貨幣価値を考えると、現在では『こだま』の東京-大阪間の運賃込特急料金は12万円相当となるでしょう。
『天国と地獄』では熱海までなのでこれより安くなりますが、定員全席分となるとかなりの額になること
は確かです。
特急『こだま』の定員数は、2等車104人・3等車320人で計424人です(運行開始当時の客車グレード。後
にそれぞれ格上げされたと思われます)。東京-大阪間を仮定すると258万6400円。これよりは安くなった
と思いますが、決して安い金額ではないですね。
ちなみに、その頃のコーヒーは1杯50円。レストランなどだと、価格が高めの設定となる場合がありますが、
ボースン(田口刑事)はビュッフェでいくら払ったのでしょうか。ちょっと気になります。


1962年10月16日より、横浜の権藤邸サロンを中心にした場面が集中的に撮影されます。一方、撮影の日程
を縫って、斎藤カメラマンが特急『こだま』の運転台に乗り込み、酒匂川鉄橋付近を通過する際の見え方を
収録して、確認することも行なわれました(10月上旬までに、東宝ステージでの40日に及んだ収録が終わっ
ていた)。

特急『こだま』の収録用貸し切り列車が走るのは、10月21日の予定となっていました。

10月19日、スチール担当の副田 正男が、斎藤カメラマンによるラッシュの紙焼きしたものを持ってきて、
中井カメラマンや黒澤監督と収録のための相談をします。ここで問題になったのが、酒匂川鉄橋手前の進一
と誘拐犯の共犯の女の姿が、手前の民家で遮られ、視線を取りづらくなっていたことでした。

ここで、再び製作主任の根津 博が呼び出されます。「これじゃ女と進一が見えないよ」というのが黒澤監督
の言い分でした。ここで、黒澤監督は家をどけろとか、視界を遮っている屋根を取り壊せとは直接指示して
いませんでした。

これは、しかしながら「見えるようにしろ」という黒澤監督の要求です。根津は一計を案じ、特急『こだま』
が走るのは2日後に迫っていることを考えると手を打てるのは10月20日しかない、何もせずに出来ませんと
いう訳にはいかないと覚悟を決め、その視界を遮っている家の家人に、映画の大道具係を連れて交渉に出向
きます。

その、酒匂川東岸・鉄橋付近にあった民家の2階は子供の勉強部屋でした。ご主人は病気療養で入院中、留守を
預かっていた奥さんが対応されたとのこと。収録が迫っているので、1日だけ2階部分を取り払わせてほしい、
収録が終わったらこの家を建てた大工さんと一緒に取り払った2階を復元させる、と必死の思いで頼み込んだ
ところ、突然の申し出には呆気にとられたものの、了解が得られたとのことでした。取り払われた2階部分に
はブルーシートが掛けられ、収録が済んでから大道具係が大工と一緒に復元工事をしたとのことです。

『黒澤 明 夢のあしあと』には、取り払われたのは工事の飯場の宿舎(プレハブ)、との推測が書かれています
が、上記のように実際の製作スタッフの証言もありますから、これは恐らく間違いでしょう。現在は存在しな
い、臨時の引き込み線が東海道本線の南側にあり、たくさんの無蓋貨車などが止まっている様子から、その様
な推測が出てきたのだと筆者(U.M.)は考えます。


※2016.04.20の追記…『村木与四郎の映画美術-【聞き書き】黒澤映画のデザイン』(丹野 達弥・編/フィルム
アート社・刊)には、この場面にはほぼ唯一美術が関わった部分として、美術監督の村木氏が取り壊された民家
の2階部分の構造について「飯場みたいな造りだったから助かった」と証言している記述があります。この表現
が誤解されて伝わったものと思われます。なお、この場面の収録に際してはこの民家の家族らはアパート住まい
をされていたとのこと。そういう手配も、製作側が配慮して行なっていたということなのでしょう。


また、この収録エピソードに尾ひれがついて、"黒澤監督は映画の収録のために邪魔になる家を取り壊させた"
などという噂がまことしやかに伝えられるようになりましたが、これも誤りです。もっとも、大同小異である
ことには違いありませんが。

『七人の侍』(1954)でも、収録に邪魔になる電灯線の電信柱を移動させたというエピソードがあり、恐らく
はそれもこの様な噂がまことしやかに語られる遠因になっているのかも知れません。




現在の酒匂川鉄橋東側の土手付近です。9月上旬でしたので、舗装がない堤の斜面側には草が一面に生い
茂っていました。

この付近の、臨時の引き込み線があった辺りは、現在ではレールなどが撤去されています。

鴨宮のこの近辺に敷設されていた臨時引き込み線の終端部分の跡地には、和光ケミカルという会社が建て
られています。この近くを少し歩いてみると、臨時引き込み線があったことを示す名残を見つけることが
出来ました。



和光ケミカルの東側の道路から、東海道線の南側の敷地は引き込み線があったことを推察するのが容易
な跡地が見えました。この画面の向こう側(直線距離で約700m)がJR鴨宮駅になります。


※2016.02.10の追記…旧国鉄時代に、鴨宮駅は貨物取扱いを行なっており(1923.06.01-1970.05.
20)、在来線に接するように貨物用側線が存在していました。ここは、その貨物用側線の跡地であると
思われます。なお、在来線の北側には1964年の東京オリンピックに合わせて開業するべく、新幹線の
モデル線が作られており、綾瀬-小田原間に建設されたモデル線の西端がこの鴨宮に存在していました。
『天国と地獄』の特急第2『こだま』での収録が実施された1962年10月は新幹線酒匂川鉄橋は未完成
ながらも、新幹線の高速走行試験がモデル線区で実施されていた時期です。鴨宮にはモデル線区の基地
もあり、新幹線の走行試験とともに乗務員の育成訓練や一般人のための試験走行同乗目的のホームの施
設も置かれていました。新幹線東京-大阪間の営業運転開始とともにモデル線区は東海道新幹線の路線
に正式に組み入れられ、鴨宮基地は新幹線鴨宮保線基地に改組、現在も使われています。




一方で、酒匂川の西側は、この様になっています。鉄橋に近い場所へはあまり人が立ち入らないため、
雑草が生い茂っています。その向こう側に堤の上から小田原大橋に繋がる通路が付いています。


『こだま』車内の収録に当たっては、品川にあった車庫で停車中の『こだま』車両を使って念入りな
リハーサルが行なわれました。乗り合わせていた乗客のエキストラは、東宝撮影所に近い、ハイソサ
エティな雰囲気を持った成城の住人の奥様方たちが数多く選ばれたそうです。彼女らは映画出演(およ
び『こだま』に乗り合わせたこと)へのお礼にと、羽織を一式、黒澤監督に贈っています。

予定していた1962年10月21日には曇りとなったため撮影は順延、翌22日に本番となりました。また、
このロケで撮り切れなかった場面の、乗客を入れ込んだ酒匂川に至るまでの一等4号車を中心とした場
面の撮り残し部分は3日後の10月25日に第2回収録を実施しました。


次ページでは、実際の収録と、次々に起こる本番でのハプニング、そして製作陣はそうしたトラブル
をどう乗り切ったのかについて取り上げます。



(次ページに続く)



<① <② <③ <④

<戻る 次へ>


(参考文献は全て最終ページに)






picup