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公益財団法人 国際文化交友会 月光天文台

横浜市浅間台の、権藤邸に近い場所から見る横浜近郊の様子。
トップページ > 見聞録 > 『天国と地獄』-黒澤明監督に敬意を表して(その2-3)

場面は再び夜、権藤邸のサロン内でのやり取りです。

権藤はサロンに繋がっている応接室の椅子に黙って腰掛けています。サロンでは、犯人からの身代金の
受け渡しの会話が録音されたレコーダを再生し、犯人の手掛かりを少しでも掴もうと、戸倉警部と田口
刑事がその内容を聞き取ろうとしています。


録音の冒頭で、ピーンという音が入ります。


権藤: もしもし。…権藤だ。
電話の男: 権藤さん、まさか小細工をやっているんじゃあるまいな?



料金の銅貨が落ちる音が入っているのは、権藤が初めて身代金を払う、と応えたこの電話のみです。戸倉
警部は街中の様子を観察し、手がかりを得ようとしている中尾刑事に呼びかけ、権藤邸のサロンから見え
る公衆電話を全て確かめるように指示を出します。

一方、サロンの窓際にいた荒井刑事は、銀行から届けられた使い古しの札束を改め、皮鞄に試しに詰めて
みたところ、犯人の要求通りに2つの鞄にちょうど1500万円ずつ入ると戸倉警部に報告します。
「あるところにはあるもんだなあ」--荒井刑事は妙な感心をして見せます。

荒井刑事は窓際に戻り、テーブルに札束を広げて、そこに待たせていた青木に、札束の番号読み上げを指
示、番号を控えていく作業を始めます。


続いて、戸倉警部らは金の受け渡しに関するやり取りをした録音を再生させます。


権藤: もしもし。…権藤ですが。
電話の男: 金は揃えたか?
権藤: 揃えた。…しかし!
電話の男: そっちの条件は呑む。金を貰う前にちゃんと子供は見せるよ。
権藤: いつだ?
電話の男: 金と引き替えに、その場で子供を返すよ。
権藤: どこで?
電話の男: 焦るな!落ち着いてよおく聞くんだ。鞄を2つ用意しろ。厚さは、7cm以下。札束はそれに丁度
ピッタリ入るはずだ。しっかり閉めてカギは掛けるな。すぐ中身が改められるようにな。それから、それ
を持って明日の特急第2『こだま』に乗れ。分かったな?それだけだ。
権藤: どこまで行くんだ?
電話の男: 乗れば分かるよ!権藤さん!(電話が切れる)



レコーダを止め、戸倉警部と田口刑事がレコーダの録音から誘拐犯の意図を読み取ろうとします。


戸倉警部: ボースン。…ホシは車内で子供と引き換えるほど間抜けとも思えんし、どこかの駅でやる
つもりかな?
田口刑事: そいつもやばいね。私がホシならそんなことはやらん。
戸倉警部: 鞄が2つ…。7cm以下の厚み…。こりゃ、どういうことだ?
田口刑事: 「乗れば分かるよ」か、クソッ(坊主頭を掻く)。
戸倉警部: (思い出したように脱いでいた背広のポケットをまさぐりながら)ああ、ところでボースン、
こいつを鞄のどこに仕込むかな?(煙草入れのようなケースの中を広げて見せる)
田口刑事: いや、素人細工じゃ危ない、本職を呼びましょう(立ち上がる)。
権藤: (奥の席から立ち上がり、戸倉警部らに近寄りながら)鞄をどうするんです?
戸倉警部: はぁ?(立ち上がり、権藤の方に向きながら)いや、犯人が中身を取った後、この鞄をどう
するか、考えてみたんです。この鞄、わざとそうしたんですが、大変特徴があります(戸倉警部が掲
げて見せた鞄を権藤が受け取る)。まあ、犯人にしてみりゃあ、持っているのは危険です。何とか処分
するでしょう。…土に埋めるか、水の中に沈めるか・焼き捨てるか?…このカプセルの中の粉末は、
水分を吸収すると猛烈な悪臭を放ちます。またこの、ポリエチレンの中の粉末は、燃やすと異様な
牡丹色の煙が出ます。まあこれも苦しい手ですが、犯人を追う手がかりになるかも知れない。そう思
いましてね。


戸倉警部からの説明を聞きながら、権藤はカプセルを改めたり、ポリエチレンの袋の匂いを嗅いだり、
鞄の状態を確かめたりしています。


権藤は、サロンの出口付近まで行き、2階にいる伶子に呼びかけ、権藤が昔使っていた道具箱を探す
ように頼みます。

戸倉警部は権藤に何か考えがあるのだろう、とあまり深く気にせず、田口刑事と一緒に札束の番号を
控えている荒井刑事らのいる窓際テーブルに近づいていきます。
一方、田口刑事は、望遠鏡でカーテンの隙間から、街中に確認できる公衆電話の位置を地図で照合し
ている中尾刑事の作業の様子を確かめています。


戸倉警部: おい。番号をチェックするのは使いやすい千円札だけで良いとして、間に合うかな?
荒井刑事: 1分間に10枚書けます。5000枚ですから、500分…え、と8時間20分。休みを入れても、
10時間あれば書けるでしょう。
戸倉警部: うん。
権藤: そんなことをしても無駄じゃないかな。私は札の番号なんか見たこともない。
戸倉警部: いや、どんな小さな可能性でも、粗末には出来んのです。
田口刑事: (立ち上がりながら)子供さえ無事に戻ったら、それこそ犬になって追っかけてやる!


田口刑事の言葉に、同僚捜査員たちは振り返ります。警察官は、捜査の中立性や公正性を保つ意味でも、
余り被害者の個人的事情には深く立ち入らないものです。しかし、余りの犯人の狡猾さと卑劣さに、彼
らの刑事魂に火が点いたのでしょう。まさに、その場にいた捜査員たちが、権藤の味方になった瞬間で
した。


中尾刑事: あんな奴は、とっ捕まえて焼き殺してやればいいんだ!
荒井刑事: ところが最高15年か…チクショウ!(青木に、続けるぞ!と合図する)


再び、青木が番号を読み上げる声が続きます。

そこへ、昼間とは打って変わって、洋装のいでたちの伶子が権藤の道具入れを持って現われ、権藤は
道具入れを一旦床に置くと、先ほどのカプセルとポリエチレンの発煙剤が乗っているテーブルの方に
歩いていきます。戸倉警部が権藤についていきます。


権藤: このカプセルを仕込むなら、ここですがね(鞄の取っ手部分を指差す)。この袋なら、ここだな
(鞄の底の部分を指差す)。


権藤は鞄を持って先ほどの道具入れを置いた場所まで歩き、その場で胡坐をかきます。道具入れの中身
を床に勢いよくぶちまけ、軽快な金属同士がぶつかる音がサロンに響き渡ります。荒井刑事は番号記録
を中断、中尾刑事も公衆電話を確かめるのを止めて、権藤の方を振り返ります。

「昔はね、靴屋は鞄も作らされたものですよ。こんな時に見習工の腕が役立つとは思わなかった。ふっ…。
全く最初から出直しだ」--袖まくりをして、皮革製品の加工用の道具を操りながら権藤は自嘲気味に笑い
つつ、確かな腕で鞄に薬品の仕掛けをします。

伶子も、戸倉警部も、また田口刑事や荒井・中尾刑事たちもその場に立ち尽くし、覚悟を決めて第一歩
からやり直そうとする権藤の姿に感動して敬意を表します。

『天国と地獄』の中の、最も人の生きる姿が美しく描かれた場面です。




仲代 達矢(戸倉警部)の芸名がいて座に因んだものとのことであるので、いて座の画像を掲げてみました。
やはり夏の星座で、8月上旬くらいはやや西の空によく見えます(画像中央やや右にあたる)。





誘拐犯人との厳しいやり取りを通じた心理戦と、内なる声との闘いで、ついに権藤は身代金支払いを決意、
実際に犯人との対峙が目前に迫る、息を吐かせぬサスペンス劇が繰り広げられてきました。

職業的義務感から捜査に従事してきた警察官たちは、権藤の犠牲的行動に心を打たれ、絶対に犯人は逃が
さない、という決意を胸に身代金受け渡し場所へと向かいます。

『天国と地獄』は、今回で権藤邸内での密室劇が一区切り、新たな密室劇として東京発の第2『こだま』で
のやり取りと身代金受け渡しの場面へと移行します。
まさに天才的な、黒澤監督のシナリオによる綿密な密室劇が繰り広げられていきます。


次回、「その3」は特急第2『こだま』での圧倒的なトリックと、進一を取り戻した権藤の感動的場面を取り
上げていきます。


(この項、その3に続きます)

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報告者: U.M. (月光天文台)


参考文献: 下記

『黒澤 明と『天国と地獄』 ドキュメント・憤怒のサスペンス』(都築 政昭・著/朝日ソノラマ・刊)
『キングの身代金』(エド=マクベイン・著/ハヤカワ文庫・刊)
『俳優のノート』(山﨑 努・著/文藝春秋-文春文庫・刊)
『もう一度天気待ち』(野上 照代・著/草思社・刊)
『黒澤明 全作品と全生涯』(都築 政昭・著/東京書籍・刊)
『複眼の映像』(橋本 忍・著/文春文庫・刊)
「映画を愛した二人」黒澤明・三船敏郎(阿部 嘉典・著/報知新聞社・刊)
『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(土屋 嘉男・著/新潮文庫・刊)
『評伝・黒澤 明』(堀川 通弘・著/ちくま文庫・刊)
『黒澤 明 集成II』(キネマ旬報特別編集)
『Mook21 黒澤 明 夢のあしあと』(黒澤 明研究会・編/共同通信社・刊)

DVD『天国と地獄』(普及版ならびに特別版)(黒澤明・監督/東宝株式会社)


※筆者による覚書…『天国と地獄』のロケ地巡りを行なうにあたって、多様な映画のロケ地を訪問して
収録している『東京紅団』のWebサイトには特にお世話になりました。当該サイトでは相互リンクを
されていないこと、リンクフリーであることの断り書きがなされています。最終回にて、当該サイトの
情報をまとめて取り上げたいと考えております。









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