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静岡県御殿場市の自衛隊滝ヶ原駐屯地付近
トップページ > 見聞録 > 『隠し砦の三悪人』-黒澤明監督に敬意を表して(その5-1)

静岡県・御殿場市

(註)…以下の場面は、ロケ地がはっきりと特定できなかったこと、関連資料にも記述がみつからなかった
ため、雰囲気の似た場所の画像を掲げていきます。

最初の関所を、薪に偽装していた秋月の定紋の入った金を一本敢えて見せ、旧秋月領の擂鉢山で拾ったか
のように思わせて突破した一行は、最初の宿を山名の木賃宿でとることにします。

太平・又七コンビは、最初に夜の内に裏道を行こうといい、ついで、では野宿しようと木賃宿に泊ること
を避けようとします。

時々、山名の兵が列を作って、村人たちの往来の中を行進してきますが、薪を載せた馬を曳く彼らのこと
を気にする様子もありません。まだ、関所からの知らせは届いていないようです。

宿場の様子を歩きながら伺い、適当な宿で泊ることを決めた六郎太、「石を隠すならば石の中、人を隠す
ならば人の中だ」、と薪も無造作に降ろします。目を付けられていないのであれば、むしろこの方がよさ
そうです(ピンポイントで追跡されているならばこの限りではありませんが…)。


木賃宿の土間に足を踏み入れた雪姫の周りを回るように子供たちが「おん方 おん方 どこへの嫁入り」
と歌います。村娘の様ないでたちながら雪姫は美しく、子供たちが円を描いて取り囲みながら歌うのは、
彼女の醸し出す上品な雰囲気に惹かれてのことでしょうか。


土間からさらに奥に入り、台所の様子を雪姫が窺う場面(この場面での雪姫の静止画が『隠し砦の三悪人』
小学館版DVD-Bookのカバーに使われている)で、「言われなくてもすすぎの水を持ってこい!気の利か
ねぇアマだな!」という怒鳴り声が響きます。

声の主は、人買いの親爺(演:上田 吉二郎(1904.03.30-1972.11.03))。秋月の国が滅んだため、箍(たが)
が緩み、若い女たちもこうした人買いたちによって人身売買が行なわれているのでした。

この人買いの親爺に怒鳴られていたのが、百姓娘を演じた樋口 年子(1940.01-)です。


上田 吉二郎は、黒澤 明監督の映画のほぼ常連出演者として知られています。やはり良く知られているの
は、『羅生門』(1950)でのアクの強い下人としての演技でしょう。彼は役の演技の研究をしたことや、
出演した映画が当たったことを自ら自慢して歩く様な性格で、ゆえに周囲から嫌われている部分がありま
した。その一方で、常に鉛筆とスケッチ帳を持ち歩いて暇な時にはデッサンをしているような几帳面さも
持ち合わせていました。上田の演技の研究熱心さを高く買っていた映画監督もいました。
晩年の演技では、本作の様な唸るような発声が評判となり、ゆえにその演技で固まってしまい、喉頭ガン
を患って声を失ってしまいます。
上田の黒澤監督作品への出演は、本作が最後となりましたが、1971年に喉頭ガンの手術を受けて声を失
う1971年まで俳優としての活動を続けています。

一方、樋口 年子は雪姫のオーディションに応募し、雪姫としては採用がならなかったものの、百姓娘とし
て抜擢されています。応募したのは1957年の八雲学園高校在学中でのこと。『椿三十郎』(1962)では腰
元のこいその役を演じ、やはり三船 敏郎演ずる三十郎に"あの娘の方がはるかにサムライだな"と言わしめ
ています。
黒澤監督の盟友・本多 猪四郎監督の『ゴジラ』シリーズにも出演しています。
樋口 年子は、現在もご存命の様子です。


自分の父が起こした山名との戦いで秋月が負けて滅び、秋月の国の民がこのような苦衷を味わう様子に心を
痛めた雪姫は、人買いの親爺に自分自身も人買いの対象にされかかったこと、なによりも目の前にいる秋月
の領民の苦しみを見て、六郎太にあの娘を買い戻せ、と命じます。

六郎太は、姫こそ難儀の身、この期に及んでそのような情けはわがままというもの、と讒言しますが、その
方は姫の心まで唖にする気か!と譲りません。

ちょうどその前に、山名の侍に荷駄に使うには惜しい、と銀5枚で3頭の馬のうちの1頭が買われてしまい、
すぐに代わりの馬が見つかりそうもない、と薪を荷車に載せて敵中を行くことになってしまいます。


荷車を曳く馬の代わりにされてしまった太平と又七、いささか気の毒ですね(笑)。

姫の命令で人買いから買い戻された百姓娘に、六郎太は秋月に帰るよう申し渡しますが、頑として譲らず、
一行に加わって荷車を押す手伝いをします。太平と又七は、「荷車とはドジな考えだぜ」と不満たらたら
です。



ここは、『隠し砦…』の荷車を太平・又七らが押して歩く場面の背景に雰囲気が似た場所です(御殿場・
太郎坊付近)。植生が非常に似ているのでこの場所の画像を選びましたが、実際には異なるはずです。


太平・又七が荷車を曳き、後ろから六郎太と百姓娘が押して道を進んでいくと、後方から蹄の音を響か
せて4騎の兵が駆け寄ってきます。

山名の騎馬武者4騎は、「馬3頭に薪を積んだ4人連れの男達を見かけなかったか、一人は女だ」と六郎
太たちに尋ねます。もしそのような者を見かけたら近くの番所に知らせろ、と言い置くと、彼らは先を
急ぎます。

太平、安堵して笑いながら「兄貴、上手くいったな~」と六郎太に言い、再び前へと歩を進めます。笑い
ながら、太平と又七は会話を交わします。

又七:やい、荷車たぁドジな考えだなんて抜かしやがったのは誰だ?
太平:へん!手前こそよけいな女しょい込んだなんて抜かしやがって!
又:しかし何だな…。まったくあの侍たちも間抜けだぜ。なぜ薪を調べねえんだ。


全く、この二人は調子がいいですね(笑)。本当にそんなことをされたら逃げ場がなくなってしまうのに。


まるで、この二人のやり取りが聞こえたかのように、通り過ぎていった騎馬武者4騎が戻ってきて、まず
太平が気づき、それにつられて又七も気がついて驚愕します。この二人が荷車の向きを慌てて変えよう
としたので六郎太が「ジタバタするな!」と一喝します。


いよいよ、第2の関門です。薪を調べようとした武者の刀を奪ってまず一人斬り斃し、番所へ知らせる為
に駈け出した2騎を追わなくてはならなくなります。もう一人の武者を斃した後、六郎太は向こうの小山
に隠れて待つように命じます。

ここから『隠し砦の三悪人』の、劇中屈指のアクションシーンが展開します。




斃した武者の馬にまたがり、六郎太は2騎を追って疾走します。手綱を持たず、両足だけで疾駆する馬を
制御するという、乗馬の名手にとっても極めて難易度の高いものです。刀は、構え方の中でも八双の構え
という、体の右側に刀身を立てる構え方を維持して馬を走らせています。


三船 敏郎は、この場面を全てスタント=マン(またはスタンド=イン)に頼ることなく撮り切っています。
この場面の収録前夜には緊張のあまりよく眠れなかったとのこと。実際には、大日本弓馬会武田流という
流鏑馬の指導者である金子 家教(いえたか)・遠藤 茂の両先生から指導を受け、なおかつ遠藤先生がスタ
ントとしていつでもこの場面の吹き替えができるように、真壁 六郎太の扮装とメイクで待機していたそう
です(遠藤先生は容姿が三船に良く似ている為、スタンド=インの要員の指名を受けていた)。

遠藤 茂先生は『七人の侍』(1954)で野武士として左 卜全演じる百姓を馬上から弓で射る役を演じていま
した。

結局のところ、三船の侍大将・真壁 六郎太としてのこの場面の演技は非の打ちどころがなく、遠藤 茂先生
がスタンド=インで吹き替えする必要はなくなりました。


六郎太はまず一人、最初に追いついた騎馬を斃します。

そして二人目。槍と刀との馬上格闘となり、六郎太も「やるのお」と相手の健闘を讃えるも、残る1騎も
打ち斃します。


海外の映画、またはTVのアクションシーンであれば、ここは並走する車に載せたカメラで俳優たちのアク
ションを納めるところでしょう(背景のスクリーンに別撮りした映像を映写して、その様子を映すという
手法もある。近年ならば、CG合成も多用されるケースだろう)。
しかし、黒澤監督は敢えてそういう撮り方をせず、地上に据え付けたカメラでパン(視線の水平方向の移
動)して馬の動きを追い、その場面を上手に繋げています。黒澤監督の編集技術が飛び抜けて優れている、
ということもありますが、敢えてカメラを並走させずに馬の動きを追った為、非常に躍動感溢れる、迫力
と美しさが綯い交ぜとなった名場面となりました(この場面では12カットほど収録された)。

この映画に刺激された海外の映画監督が、今度はこの場面を模倣するようになります。"Star Wars"シリ
ーズでは、Episode VI -Return of the Jedi-"(1983)の、森の衛星エンドアにおける銀河帝国軍と反乱
同盟軍とのスピーダー=バイクでのチェイス場面に影響を与えています。




しかし、深追いし過ぎたために六郎太は山名の陣地に入り込んでしまいます。

雑兵たちに取り囲まれ、六郎太は焦りの色を見せますが、「ようーっ!真壁 六郎太!」と自分の名を呼ぶ
呼び声に気が付き、「おお、田所 兵衛か!」と破顔します。

田所 兵衛(演:藤田 進(1912.01.08-1990.03.23))については、劇中ではあまり詳しく語られていません。
この二人がお互いに見せる表情と交わされる会話から、お互いに秋月と山名との戦が始まる前から評判や
実力を知っていたようで、秋月が敗れることになったこの戦では、ついに相まみえることがなかったため、
残念に思っていた、と言葉を交わして高々と笑い声をあげる様子には、二人が好敵手で、お互いの実力を
認め合う間柄であったことが推察できます。

山名の雑兵たちには、「貴様たちの相手ではない」と命じて下がらせ、手合わせをしよう、と兵衛が六郎太
を誘い、六郎太も山名の雑兵から槍を受け取って対戦します。


騎馬での対決シーンにそのまま続いて、槍の名手である田所 兵衛との一騎打ちの場面が繰り広げられます。

「手に汗を握る」とは、このことをいうのでしょう。雑兵たちは遠巻きに六郎太と兵衛との槍の対決を見守
ります。まさに、一進一退の互角の攻防!ここにその動画を掲げられないのが残念ですが、ぜひともDVD
などでご覧戴きたいと思います。

闘いの終盤では、陣地の奥に設えられた、大将が座って戦の状況報告を受けたり、兵を差し向ける指示を出す
幔幕が張られた場所に乱入、木製の盾を槍で突いたり倒したり、幕を槍で切り裂き、幕越しに対決するなど、
本物の槍を使わないと無理と思われるようなアクション場面が展開します。

そしてついに、兵衛の槍を叩き折ってほぼ互角だった勝負が決します。

「参った!」との兵衛の降参の合図に、六郎太は安堵して立ち去ろうとします。「あわてるな、六郎太!」と
兵衛は呼び止め、地べたに座って"俺の首をとれ!"と手で合図をします。

六郎太は「また会おう」と応え、槍を山名の兵に返すと、馬に乗って兵衛に向かってにやりと笑って見せた後、
去って行ってしまいます。「六郎太!」と兵衛は何度も呼びかけますが…。


侍にとっては、勝負を決した相手の首を取ることが名誉であり、勝負をした相手への敬意の表し方、という
ことなのでしょう。この部分については、現代を生きる私たちにとっては理解が難しい部分でもあります。
いずれにしても、兵衛にとっては屈辱と受け止められた六郎太の行動ですが、このことが映画の終盤での
どんでん返しへと繋がる伏線となっていきます。

また、この場面は"Star Wars Episode IV -A New Hope-"(1977)での、Death Starの発着デッキ付近
でのDarth VaderとObi-Wan Kenobiとの旧師弟同士の対決場面に影響を与えた場面です。二人の対決を
遠巻きにしながら見守る雑兵が、Star Warsでは銀河帝国軍のStorm Trooper、という位置づけになって
います。




田所 兵衛を演じた藤田 進は、黒澤 明監督の監督デビュー作である『姿 三四郎』(1943)以来の常連出演
俳優でした。文字通り、『姿 三四郎』は藤田の出世作でもあり、黒澤初期作品では主役として高い人気を
誇っていました。

東宝の労働争議のあおりで映画製作が思うようにいかなくなり、藤田はやはり『姿 三四郎』以来の共演者
である大河内 傳次郎(1898.02.05-1962.07.18)に誘われる形で「十人の旗の会」を結成、新東宝設立に
参加します(1947)。

黒澤監督も、東宝の労働争議で映画製作できなくなったことを嫌って、大映などで製作をした後、1952年
の『生きる』で東宝に復帰しました。

元々、田所 兵衛の役には先代の松本 幸四郎が予定されていましたが、「天気待ち」が100日にも及んだ為
に舞台出演を優先せざるを得なくなり、降板を余儀なくされます。藤田 進の黒澤監督作品への復帰は、本作
の「天気待ち」でスケジュールが伸び、松本 幸四郎が演じた場面を撮り直すことになったためでした。
『わが青春に悔いなし』(1946)以来の黒澤監督作品の復帰作となりました。



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