月光天文台月光天文台

公益財団法人 国際文化交友会 月光天文台

『隠し砦の三悪人』-DVDパッケージ(東宝版と小学館DVD-Book版)
トップページ > 見聞録 > 『隠し砦の三悪人』-黒澤明監督に敬意を表して(その1-1)
黒澤 明監督(1910.03.23-1998.09.06)のモノクロ映画は、傑作の宝庫と言って良いほど、優れた映像作品
があります。映像の美とダイナミズム、ストーリーや筋書きの展開の面白さ、深い人間性を描いたかと思えば
抱腹絶倒する様な表現もそこかしこで見られます。

そして、時代劇の闘う場面での大迫力!黒澤映画のファンは、そういう部分に心酔するのでしょう。

戦国時代の百姓と侍・野武士との関係を描き、日本映画の底力を遺憾なく発揮した『七人の侍』(1954)の後
に、黒澤監督は『生きものの記録』(1955)、『蜘蛛巣城』(1957)、『どん底』(1957)と言った映画を撮り
ました。『生きものの記録』は当時の水爆に対する恐怖からどう逃れるのかを描いた現代劇、『蜘蛛巣城』は
シェークスピア『マクベス』からの翻案による時代劇、『どん底』はマキシム=ゴーリキーの同名の戯曲から
の翻案による時代劇でした。

『生きものの記録』は黒澤 明監督にとってモノクロ時代唯一の不評な作品でしたが、『蜘蛛巣城』『どん底』
は原作の描いた世界観を非常に良く理解した翻案で、とりわけ『どん底』は『白痴』(1951/ドエトエフスキ
の同名小説からの翻案現代劇)とともに旧ソ連から『デルス=ウザーラ』(1975)の映画化のために招聘される
きっかけともなった作品です。

しかし、一方で映画製作陣としても、もちろん黒澤監督自身も、重いテーマを続けて扱ったことで精神的にも
些かぐったりとしたことは確かであり、次はスカッとする様な映画を撮ろう、と考えていました。

『七人の侍』も、ロケ地が東京都内のほかに静岡県東部・伊豆地方・神奈川県箱根町と複数選定された、規模
の大きなものでしたが、『隠し砦の三悪人』では静岡県東部・伊豆地方のほかに有馬温泉で有名な兵庫県西宮
市の山奥にもロケ地を選んでいる大規模なものでした。

この映画のロケ地が比較的近くにあることや、兵庫県の山中にも見るべきものがあり、U.M.は関西にも足を伸
ばしてロケ地を見てきました。

ご堪能戴ければ幸いです。

静岡県・御殿場市古沢~駿東郡小山町用沢

--時は戦国、山名の軍勢に敗れた秋月の後継者たる雪姫が、家来の真壁六郎太とともに軍用金・二百貫を薪に
偽装して敵を欺きながら山野を越え、盟友である早川領に逃げ込むことを画策する。偶然、流れてきた薪の中
に仕込まれた金の延べ棒を見つけた、百姓の太平と又七-この二人は戦で手柄をあげようとするもその戦に遅れ
て山名の兵にこき使われた揚句、家や田圃を売り払って揃えた武具や具足も取り上げられてしまい、ほうほう
の体で逃げてきた-の貪欲さを利用し、六郎太は二人を脅したりすかしたりしながら知力の限りを尽くして敵中
突破を試みる。姫と六郎太、そして太平や又七の運命や如何に。

…これが、『隠し砦の三悪人』のほぼ全体の筋書きです。

本作の脚本は、黒澤 明・小國 英雄・菊島 隆三・橋本 忍の4名により執筆されました。菊島 隆三の出身地は
山梨県・甲府市であり、武田信玄の隠し砦が今も存在する、という話から出発しています。
そこに、絶対に逃げられない様な状況を作り出し、それをどの様に突破するのか、脚本家が知恵を絞って脚本
を執筆していく、そうしたやり方で脚本の執筆が進められていきました。

映画の冒頭では、戦で手柄をあげるどころかその戦に間に合わず、山名の兵にさんざんにこき使われ、武具や
具足もほとんど身ぐるみはぎとられて、「ほうほうの体」で逃げ帰る、背の高い男と背の低い男が2人、ぼろ
ぼろの服装で平地を歩く後ろ姿が映し出されます。

2人の男はくたくた、疲れきっているものの、一方が倒れ込みそうになってもう一方の体によろよろと歩きな
がらぶつかってくるため、「もっと離れて歩け!死人臭くてやり切れねぇ!」と怒鳴りつけます。

怒鳴られた背の低い男、カチンとくるもすぐさま意地悪な笑い顔を見せながら反転攻勢に出ます。

「てめえこそくせえや。臭くて臭くて、反吐が出らあ。もっとも、糞虫には糞の臭さはわかるめぇ…。てめえ
は糞虫だ。鼻持ちならねえ。戦に出りゃあ立身出世も思いのままだって抜かしやがって!」

このセリフに、背の高い男は狂ったように笑いながら応じます。

「何もかもとっても面白れぇや!ははははは…。まず戦に間に合わなかったのが面白れぇ。負けた方の雑兵と
間違われて死人の後片付けをやらされたのも、はははは…。やっとこ逃げ出して、二日二晩水っ腹でこうやっ
てうろついているのも面白ぇや!もっとも一番面白ぇのは、ベソをかいているお前のその間抜け面さ!」

取っ組み合いのケンカになりそうですが、さにあらず。

満身創痍の武士が現れ、その鬼気迫る様相に二人はケンカどころではなくなります。

追っ手の騎馬数名が、その武士を次々に槍で突き、その武者は血を吐いてその場に倒れ込みました。
馬上の武士たちは、この二人が武者と関係あるとは全く思わず、そのままその場から走り去っていきます。

いったんは、ケンカを収めた二人も故郷に帰るにはあまりに無様であり、この後どうするかで揉めます。背の
高い男は「俺は行くぜ」と言い、背の低い男は「ひと稼ぎしてから帰る」と応じ、罵詈雑言を投げ合いながら
別れます。


さて、下に掲げたのが、映画冒頭の場面に出てくる、背景の山体に近い稜線をとらえられた画像です。

正確に収録が行われた場所を特定できたわけではありませんが、スクリーン=ショットと比較しながら、遠景
の山の稜線が一番似通っている方向を画像に納めました。若干山体の形状が異なる部分もありますが、それは
見る場所の違いによるものだと思います。



この画像を撮ったのは、御殿場市の古沢~駿東郡小山町の用沢付近で、黒澤組のロケでは御殿場・小山とも
「御殿場ロケ」と称されていることが多いため、御殿場ロケで収録された場面なのでしょう。

上の画像の中央やや右側の山のピーク部分は、左側から「大御神」「大洞山」でしょう。自衛隊富士学校に
近く、またこの山の向こう側は山梨県山中湖町で、静岡県と山梨県の県境にもなっています。


*2016.01.13追記…ほぼ同じ見え方となる、別の場所で撮った画像を追加します。



御殿場市馬術スポーツセンタ付近から見る「大御神」「大洞山」です。こちらの方が、映画での視点により
近いように感じますがいかがでしょうか。このすぐ北側は自衛隊東富士演習場であり、一般人の立ち入
りには許可が必要となります。


この「大御神」「大洞山」の近くまで行くと、この様な様子になっていました。



江戸時代に富士山が噴火(宝永の大噴火)して、地元の村がほぼ壊滅状態となり、大飢饉も発生して餓死者が
出ようかというとき、御用米を放出して民を救った恩人、伊奈半左衛門の像です。伊奈神社に祀られていま
す。その背後に、上の画像の遠景として見えていた山のピークが写っています。
こちらは、映画とは直接時代の上でも関連のない、実在の人物です。

さすがに、ここでは背景の山に近すぎるので、『隠し砦の三悪人』の冒頭場面は、もう少しここから離れた
南寄りの場所での収録だったはずです。

この山の稜線は、御殿場市の市街地北部から、小山町用沢辺りでならば見えるので、この範囲のどこかに
ロケ地があったのだと考えて良いでしょう。

『隠し砦の三悪人』では、『七人の侍』ほどにはロケ地に関する情報が明らかになっていない為、限定的で
はありますが、探索して突き止められた場所を取り上げていくつもりでいます。


ところで、この場面はGeorge Lucasの『Star Wars Episode IV - A New Hope-』(『スターウォーズ
EP 4 新たなる希望』/1977)の、ドロイド凸凹コンビ・C-3POとR2-D2が銀河帝国の追っ手から逃げ出して
脱出ポッドで沙漠の惑星・タトゥーインに不時着、沙漠で口論した揚句ケンカ別れした場面とそっくりです。

それもそのはず、Lucasは『隠し砦の三悪人』をスペース=オペラの世界観に翻案して映画を作っているので、
似たような場面が出てくるのは当然です。この二人が太平(演:千秋 實)と又七(演:藤原 釜足)で、名前が分かる
のはもう少し後になりますが、C-3POとR2-D2のモデルであることや、アイデアのかなりの部分を『隠し砦
の三悪人』より拝借していることはLucas自身も認めています。

なお、太平と又七は能や狂言における太郎冠者(たろうかじゃ)・次郎冠者(じろうかじゃ)という、漫才で言う
ところのボケと突っ込みのような役割を担う人物で、狂言回しの様な役割を担いつつ、話の筋書きに笑いの要
素を持たせる役どころとなっています(太郎冠者の本来の役割は武士に仕える従者や使用人の筆頭格であり、
それに続くのが次郎冠者である)。
この二人の滑稽なやり取りを、Star Wars EP IV以降でC-3POとR2-D2が見事に(しかも、一方は人間の言葉
ではなくビープ音だけで)再現以上の面白さで展開しています。

ところで、『隠し砦の三悪人』の冒頭場面で、山名の手勢の騎馬に槍で刺されて斃された武士のことについて
も触れなくてはなりません。

その武士を演じたのは加藤 武(1929.05.24-2015.07.31)です。当時、歌舞伎座の舞台公演との予定がかち
あってしまい、一旦舞台を離れて御殿場まで移動し、その翌日朝からの出番、という状態でした。映画の収録
時期だった1958年はまだ東海道新幹線が開通しておらず、東海道本線のみでの移動で到着は深夜だったそう
です(*2016.01.13の追記…死亡年月日を追加で記入しております)。

「血みどろの落ち武者」を演ずるのに、血が流れ落ちる場所を変えたり、扮装テストも延々と行なって、いざ
本番、槍で刺されて倒れたところに、取って返してきた馬の一頭が加藤 武の頭を蹴り、収録していたスタッフ
も一瞬肝を冷やしていました。

加藤 武はと言うと、頭に蹴られたショックを感じ(実際、蹴られたショックで体が反応していることが動画でも
確認できる)、"ここで体を起こしたら撮り直しだ!夜の舞台に間に合わない!!"と必死だったそうです。

幸い怪我はしませんでした。鬘に使われていた台金が比較的丈夫な赤銅(あかがね)だったからで、アルミニウム
製の台金だったら大ごとになっていただろう、と安堵しているようです。映像的には、断末魔の動きをとっさの
機転で表現できた、ということなのでしょう。

しかも黒澤監督は、「では寄りで同じ場面を撮ろう」と容赦ない(笑)。

アップでの撮影では、槍で突かれた際に出る血糊の仕掛けをするため、着用していた鎧を外さなくてはならず、
加藤 武の弁によれば「進退きわまった」。魚河岸の実家が御不動様を信心しており、御不動様や巣鴨地蔵さま
などのお守りをいっぱい鎧の下に巻きつけていたため、寄ってたかって鎧を引っ剥がされた時、恥ずかしくて
仕方がなかったそうです。

黒澤監督は、後に「加藤はお守りを身に着けていたのか」とホロリとさせられた、と述懐しています。

しかも、出番を終えて帰るときにはそのお守りを全て撮影現場に置いてきてしまったのですが、現在まで無事に
活躍できていたのもその信心があったからかも知れませんね。



上の画像は、『隠し砦の三悪人』の別のロケ地に寄って来た帰り、富士スピードウェイの観覧客用駐車場で
撮ったものです(そのロケ地についても後ほど取り上げる予定です)。この様に、天気が良い日には御殿場北
部や小山町からは富士山が良く見えます。富士山の南側を飛行機が通過する際に残していったひこうき雲の
航跡が影を落としている珍しい場面です。

『七人の侍』と同じく、静岡県東部のロケ地からは富士山が良く見えます。『隠し砦の三悪人』でも、明瞭
に富士山が映っては困る為、収録にあたり富士山が映り込まないように苦心していたそうです。


(次ページは太平と又七がとらえられた落城後の秋月城のセット建設場所)


<① <② 

<戻る 次へ>


(参考文献は全て最終ページに)





picup