「奇しびなる生命の連鎖」
− 宇宙から人間へ −
第1章 生命の起源としての大宇宙
ここで、いま一度、地球の衛星である月を見てみたいと思います。月の起源に関しては、いくつかの説があります。例えば、地球のマントルの一部がちぎれて月になったという親子説。あるいは、太陽系の別の場所ででき地球の重力にとらえられたとする他人説(捕獲説)。地球と同じガスと塵から地球軌道付近で同時につくられたとする兄弟説などです。しかし、いずれの説も決定的な証拠がなく、月の起源はこれだと断定できるものはありません。
唯一わかっていることは、アメリカが1969年から72年にかけて打ち上げたアポロ宇宙船の乗組員たちが採集した月の石を分析した結果、その成分が地球のマントルと類似していることです。マントルとは外套という意味で、地下約35キロの深さから地球の核の上部まで、厚さ約2900キロまでの部分の総称です。月のマントルの厚さは地球のそれの約40パーセントの1200キロほどと推定されています。
2年ほど前に上梓した『アジア発、地球へ』
初版の第三章「月が育む生命」で 月の多様な働きについてふれましたが、地球と月の構造にはこのような共通項があることを知ると、月への親近感がより強くなるのを覚えます。
最近では、2010年頃をめどに「月面基地」構想が実現しそうな動きが活発となってきています。月面探査船アポロが持ち帰った月の石(砂)には重量にして約42パーセントの酸素が含まれており、これを使った地上での実験では、水素ガスを送り込み水素と酸素を化合させることによって、10キログラムの月の石(砂)から200グラムの水を抽出できたという報道があります。水ができればそこから酸素をつくり出すことができます。水のリサイクルシステムには、人間の汗や尿までも組み込まれることが研究されているといいます。

初期の月面基地のイメージ・(宇宙開発事業団 提供)
○月にある資源を求めて、人間は月に住むようになるかも
しれない。そうなれば、宇宙線、強烈な太陽紫外線、流
星物質などが直接表面に降り注ぐ月面では、地下に居
住するようになるだろう。遠くに地球が浮かんでいる。
また、月の石(砂)にはへりウム3という元素が含まれており、その量は石(砂)10万トンにつき1000トンといわれ、月面全体ではこのへりウム3が約50万〜60万トン埋蔵されていると推定されています。これはエネルギー換算で地球に存在する(過去に使用した分も含めて)石油や石炭などの化石燃料の10倍に匹敵するといわれ、現在の地球全体のエネルギー需要を何と1900年間にわたって満たしうるという莫大なものだそうです。しかも、エネルギー源としては、クリーンなエネルギーであるというキャッチフレーズです。
へリウムは、太陽の中で水素の核融合によって多量に生産されているというように、宇宙のなかでは水素に次いで多い元素です。ところが、太陽より多量に放出されながら、大気に妨げられて地上には到達できないため、地球にはほとんど存在しない元素です。月には大気がないため、降り注いだものが砂の中に蓄積されているのです。
振り返ってみますと、人類の宇宙開発は1957年、ソ連のスプートニク1号から始まり、米ソ超軍事大国間の競争となり、12年後の1969年にはアメリカがアポロ11号による世界初の有人月面着陸を成功させました。その時の宇宙飛行士の言葉「一人の人間にとっては小さな一歩であるが、人類にとっては偉大な躍進の一歩である」は、今も私たちの耳に生々しく残っています。

月面に星条旗を立てるアームストロング船長・(NASA)
○アメリカの宇宙船アポロ11号から分離した月着陸船は、1969
年7月21日(日本時間)、月面着陸に成功。人類史上初めて人
間が月に到着した。
そして、20年後の1989年、アポロ月面着陸20周年記念式典でのブッシュ大統領演説は「21世紀には再び月に戻ろう。月に住むために」と語っています。現在、実用化へ向けてさまざまな実験が行なわれています。月の砂からの資源利用です。基地を建設する材料としてのアルミ・鉄・シリコンなどはすべて月の砂や岩石の中にあるといいます。地球から運ぶよりはるかに便利であることはいうまでもありません。
地球と月との間に建設される宇宙ステーション"フリーダム"は中継基地となり、太陽電池の発信基地となります。スペース・シャトルは地球との間を何度も往復して月での作業を助けます。宇宙実用化の時代の到来を告げる宇宙開発はもはや冒険ではなく、技術的にも自信を持ってまかなえるビジネスである、と報道されています。地球上の石油エネルギーが枯渇してからでは間にあわない、余裕のある今のうちに始めなければ、という考え方には説得力があります。

建設中の国際宇宙ステーション・(NASA)
○米、欧、日、加にロシアも加わった国際宇宙ステー
ション構想。完成時の重量220t、高度400km、全高
73m、幅108mで常時4人の乗員が駐在し、宇宙実験
などを行なう予定であった。アメリカの財政事情のた
め計画は縮小されたが、実施に向って進められている。
2000年10月31日より3人の乗員が駐在している。
確かに、人口爆発・エネルギー・環境問題など、人類に突き付けられている多種多難な問題を解決する方策として
月へ行き、その資源を利用するということは
今日の科学技術レベルで可能なことかもしれません。しかし、今それしか人類生存を支える道はないといい切れるのでしょうか。大変斬新的、魅力的なプログラムであり、もはやそれに対して懐疑的であったり、引き止めようとする態度は人類の進歩と発展の道を阻む反逆児となりましょう。それでもなお人間は本当に万策尽きたのだろうか、と思わざるをえません。
単に月をロマンの対象として残しておきたいとか、地球上の人類同士どこまでも美しいヒューマニズムで助けあいをと唱え、ついに共倒れになるのも止むなしとするのでもありません。私が強調したいのは、人類世界の流れのなかに大きく口を開けた欠陥に気がつきたいということです。
科学技術が進み、地球環境を守るために月面の資源を有効活用することは
一見すばらしじことのように思えます。しかし、これが物としての資源の追求開発という発想であることに恐れを感じます。唯物思想による対症療法のそしりを免れないのではないかと危倶するのです。そのような選択肢をとる人類世界は本当の健康体といえるのでしょうか。未来の子孫たちが、もし人類が生存可能だとして、20世紀の最後を生きた私たちを子孫を思った賢明な生き方であったと称えてくれるでしょうか。
「地球道徳」から「宇宙道徳」へ
大いなる宇宙意思によってこの地球上に生命を与えられた人類は、母なる地球の上に供給案配されたあらゆる資源、生物とともに、生命の連鎖と循環のなかで地球環境に調和し、大きくは宇宙の大生命に和していくことを宿命づけられていると確信しています。にもかかわらず、地球で欠落した部分を省みることのないまま地球を脱出して、宇宙開発へ飛び込むことの危険を訴えたいのです。
人類が地球道徳を反省する心のゆとりをもてないまま、先を急がねばならないことは本当に不幸なことです。人類生存の危機が叫ばれている今日、生存の基盤が物質的なものだけでなく、物質を支える目に見えない精神的な基盤を見落としてはならないことを心から訴えたいのです。加速度を増して大自然の法則から離れていくひずみに誰かが気づき声を発せねばとの思いに動かされて……。人間は一度新しい発見を得ると開発の名のもとに暴走し、自制心をなくした行動に走りがちです。このことを私は恐れます。
私は月をこのように痛めつけることが、「太陰」としての月の役割に狂いを生じ、終局的には地上の人間の体や精神に異常をもたらし、逆に生命を危うくするのではないか、と危倶の念を禁じえません。人類は地球という住み処に生存する英知と資源を宇宙意思より与えられているはずです。
人間社会には「人間道徳」があり、地球と人類万物の調和のために「地球道徳」が必要であるように、宇宙にあっては、宇宙の秩序と地球人類の共存を維持するために「宇宙道徳」の遵守が必要ではないか、と強く考える今日このごろです。
1992年の11月に東京でアジア太平洋国際宇宙年会議が開催されました。そのなかで「宇宙飛行士の見た地球」というテーマでパネルディスカッションがあり、毛利衛さんや秋山豊寛さんら八名の宇宙飛行士が意見発表を行ないました。私はその場にいたわけではありませんが、新聞報道から察しますと、「地球は人類の母だと感じた。宇宙から見ると国々の区別はつかなかった。故郷は地球だと思った。地球の美しく豊かな色はカメラでは表現できない。共通の船に乗る人類は平和に助け合って生きなければならない……」ということに集約できるようです。
私はつねづね「母なる地球」ということを提唱してまいりましたが、宇宙飛行士が地球を"人類の母"と形容したのは、理論や理屈を超えた正直な心情であったと思われます。これに精神的な要素を加味したものが「地球道徳」の基本理念です。
このように 1992年の「国際宇宙年」は多くの新しい発見とともに
私たちに多くの教訓を与えてくれました。しかも、宇宙は"普遍"ということと"絶対"ということが通用する唯一の場所です。人類は普遍にして絶対の教訓を現代だけでなく、未来の世代の生存のために活かさなければならないと考えます。科学技術の発達は喜ぶべきことですが、それが人類の"おごり"となったときに破滅が訪れることは、過去の輝かしい文明の崩壊が如実に物語っています。今こそ過去の歴史を他山の石として教訓とすべきでしょう。
地球はおそろしく低い確率で誕生したといわれています。前にもふれましたように、太陽系が存在する天の川銀河のなかにはバルジと呼ばれる火の玉のような中心部から左右にそれぞれ約5万光年の円盤の中に
億単位の数の太陽のような恒星が存在しているのです。そして、この広大な宇宙の中には天の川銀河のような銀河集団がさらに億単位の数で存在していることも現代科学は発見しています。これらの銀河や銀河集団のなかには、天の川銀河をはるかに凌駕する大きさのものが無数にあるといわれています。
とはいえ、これまでに発見された100億光年かなたの銀河までの宇宙には、生物を宿すような条件を備えた星は発見されていません。そして今、150億光年かなたの宇宙初発から百億光年の間の"未知の宇宙"の探究に関心が寄せられており、世界中の科学者や天文学者がこの"未知との遭遇"をめぐって先陣争いを展開しています。
このような科学的な背景から、地球の誕生はおそろしく"低い"確率であったという見方は容易に理解できます。これを偶然と見るか、必然と見るかは、見る人の見解によるでしょうが、私は地球の誕生は宇宙創造からの"必然"の結果である、と信じています。なぜなら「生命の連鎖」は偶然を超越したものであるからです。
