「奇しびなる生命の連鎖」

− 宇宙から人間へ −

  第1章  生命の起源としての大宇宙

    人類がつくった異質の生態系

 地球上に長い長い年月をかけてできあがった自然の生態系の最後に仲間入りをした人類ですが、初期には自然とうまく調和して生活していました。しかし、やがて人類は計画的に食糧を生産することを覚え、あるいは狩猟技術の向上等によって、十分な食糧を確保することができるようになりました。寿命を延ばし、増加に増加を重ねた人類にとって、自然生態系は不便なものとなってしまいました。

 増え続ける人口を養うために、自然からの収奪に熱中する」ことになったのです。そして、いつしか自然の生態系への侵略者、攪乱者となり、自然万物を強引に支配する圧制者となったのです。子孫を残すために食べて生きるという純朴な自然生物の生き方から、儲けるために、すなわち欲望を満たすために生き、そのために食べ 快楽を求めて日々を過ごすという、異質の人類生態系をつくり出しました。欲望はますます強くなり、もはや生活レベルを後戻りさせる勇気はないかのようです。より豊かに、より便利に、より快適に、という拡大方向から抜け出すことができません 

 宇宙から流れる大生命の末端に生まれた人類。その人類にのみ思索する能力を与えられたということは、優れた知能と技術力により、物質的開発とともにモノの奥深くに宿る精神、さかのぼれば宇宙の大精神、大生命につながる普遍の大いなる存在を思索する心、すなわち人間の霊性の向上が必要とされていると思うのです。

 知性とともに霊性高きがゆえに万物の霊長と呼ばれたのでしょう。としたならば、霊長としての役目は何かと問われれば、生命を送り与えてくれた祖(おや)の心を覚り、生命の連鎖と循環を知り、過去・現在・未来の歴史的流れのなかに、そして現世界の流れのなかに与えられた生命を力一杯に生きることにある、と答えたいのです。
 大地の上に生命を送ってくれた母なる地球。空気、山、川、海、大地、そして、そのなかに織りなす生態系。すべての生命のつながりによる恩恵に対しては、感謝の誠を捧げる以外何がありましょうか。そこから戴いた生命は、人間一人に止まるものではなく、還流させることが自然の流れです。つまり循環であり、生命のお返しです。

 自然に逆らうことなく正直に生きる動物や植物、山、川、海、さらには大気にさえも、人間は感謝どころか邪気や毒気をまき散らして汚染させ、傷つけています。それらの生命は素直に自然の理(ことわり)のなかにあります。それぞれの生命がもつ自浄力や修復機能の限界を越えたとき、その報いは人間の世界に返ってくることは自明の理です。

 地球上の生命の生活は共生であり、互いに生命を照らしあい、認めあい、調和していくなかにあります。それらの自然環境のなかに世界の万民もまた互いに認めあい、助けあい、円融大和した世界を築くことこそ、悠久の宇宙から生命の連鎖のなかに託された宇宙意思であると確信するものです。

 今日の唯物個人主義、拝金思想、経済優先主義による環境破壊をはじめ、さまざまな社会問題は、人間社会を自壊させる以外ないまでに、大自然の道を外れた方向に進んでいます。いったい発展とは何か、豊かさとは何か、それらが本当の幸福につながっているのか、と考えさせられることが多いのです。そして何より人類・万物を支え、生命の元を供給し続けている地球母体に、どれほど迷惑をかけ、徼慢の爪で傷つけ、親不孝を働いているかを考えたいのです。

 ただ一つの地球、かけがえのない地球といわれながら、その美しいはずの地球上には多くの不均衡が渦巻いて混濁の雲がたれこめています。世界を取り巻くさまざまな問題も、突き詰めるところ、人類文明の発展の歴史のなかで物質繁栄に伴うはずの精神的価値観の欠落が大きな要因となっていると思うのです。

 生命を育む大地や大自然の法則を離れて、人類の生存はあり得ないことをいつしか忘れ、物質的豊かさ、便利さを享受するにつれ、人間の心は大地を離れ、大自然の恩恵を忘れ、人間の力を過信し始めたのです。そして 人間が万物の王者であるかのごとく錯覚し、人間の頭脳がつくり出した科学と技術の力で、 世の中のすべてを解明、開発できると確信するようになりました。
 事実、今日の私たちの生活はその恩恵に取り囲まれ、もはやそれを拒否して円滑な社会生活が成立するような状況ではありません。その貢献に充分感謝しながらも、あえて述べさせていただければ、これ以上、自然と人間との逆転した思考が世界に蔓延したとき、取り返しのつかない不幸が人間社会に始まるということです。否、既にその深みにはまり込んで身動きできなくなっているのが、今日かと思います。

 この跛行的流れをひきずったまま、今日の環境問題は私たちに反省を迫っています。待った、の赤信号を発し、猛省を促しているといってよいでしょう。私たちはそれを肝に銘じて 小手先の対症療法ではなく、ライフスタィルの見直しから、基本的には地球道徳を喚起するといった環境問題の根本療法を地球規模で考えるべきでありましょう。生命連鎖の断絶は宇宙に対する人類の冒とくです。

  
   ストロマトライト・(東京大学総合研究博物館 提供)
   ○西オーストラリア、ハメリンプールに現生するストロ
    マトライト。満潮時に水中カメラで撮影したもの。スト
    ロマトライトは、光合成バクテリア(ラン藻類)が水中
    で構築した炭酸カルシウムの構造物。オーストラリ
    アの35億年前の地層からも、その化石が発見され
    ている。
      光合成によって酸素を発生し、現在の地球環境
    を作るのに主要な役割を果たしたとされる。



深刻な地球環境問題

 世界各地で環境と人類生存をテーマとした会議が開かれていますが、1991年の秋に大阪で日本の科学者と文化人のグループによるフォーラムが開かれ、「99年後の2090年、人類は滅亡する」というショッキングな報告書が発表されました。これは科学的なデータをもとにまとめられたもので、@これまでのような経済成長(年3%)が続くと2024年に人口は現在の1.6倍になり、食料や資源不足が始まるものの、生活を向上させたいという人びとの動きは止められない、A2057年までには破滅の可能性に気付き、先進国と南の国ぐにとが妥協の時代に入るものの、生活水準の低下と慢性的な不況の時代が続く、Bそして結局、資源の限界とともに、世界は無秩序状態に陥り、環境破壊もあいまって人類は滅亡するとの三段階の破滅へのシナリオが描かれています。

 人類の破滅が決して遠い未来のことではないという、警告を込めた予言ではありますが、これには今後起こり得る異常気象や災害、戦争などの要素は加味されていないようですので、現実はさらに厳しい事態が予想されます。これは、環境問題が深刻になった今日でもなおライフスタイルをいささかも変えようとせず、得手勝手なエゴで行動する、その一方で科学技術を過信し科学が環境問題を解決してくれる、と責任転嫁する人びとの意識の甘さに対する、科学者グループ自身による警告であると受け止めることができます。


 また、環境問題で環境リスクという言葉がありますが、これは未知なるリスクであり、原因も結果もよく分からないリスクが起こり得ることをいいます。環境科学者がそのリポートの中で述べている「地球環境について明確な説明を科学に求めるのは難しい」との言葉は、肝に銘ずべきものと思います。
 科学はある意味では、すべてが終った後でないと完全な説明ができないというもので、説明はあとからくるというのです。完全に説明できる段階になったとき、そのときにはもう、人類がこの地上に存在していない、ということにもなりかねません。

 しかし今後、科学の果たす役割はますます重大となり、特に環境問題に関しては調査、分析、技術研究、開発など、全人類の期待を担うものであるだけに、国の政策としても、充分な支援が必要でしょう。一方、国民サイドでは科学の恩恵に感謝しつつも、科学を過信するあまり、責任をそちらに転嫁し、まずいことが起きたら科学者の責任、というのではあまりにも無責任であり、無知というものです。
 今、私たちは近代社会の利点と盲点をよく承知して、どのような行動をすべきか、人間本来の知性が必要とされているのです。

 ある学者が今の日本の経済発展について語っています。日本は経済面、いわば卵の殻は大変大きくなった。しかし、中身に当たる人の考え方は昔とそれほど変わっていないのではないか」と。それが、さまざまな矛盾や国際的な摩擦を生んでいるというのです。
 同じ論法で科学の成果について語るなら、「人類は科学と技術の進歩により、卵の殻は驚くばかりに大きくなった。しかし、中身に相当する人間の考え方が豊かさをともなわず、むしろ精神的には昔より貧弱なものとなっているのではないか」となりましょうか。それが、機械文明の暴走、人心の荒廃、環境破壊などの問題を誘発しています。自らつくり上げた不調和な卵から、どんな雛を世に送り出そうとしているのでしょうか。
 次の世代を生きる子供たちに、どうして奇形の雛を手渡すことができましょうか。現代を生きる私たち大人の責任は重い、と自覚せねばなりません。

   
        フィリピンの小学生・(OISCA静岡 提供)
        ○子供たちに明るい未来を。現代を生き
          る大人たちの責任は重い。                 

 

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