今、太陽系惑星のなかで地球だけが特別な存在であり、地球だけが水がたっぷりと存在する−地球表面の70%が海に覆われている−水の惑星であることが明らかとなっています。もし、地球がもう少し太陽に近かったなら、水は水蒸気となって宇宙空間に離散し、金星のように岩石だらけの惑星になっただろうといわれています。まさに地球は奇跡の星なのです。その奇跡の星・地球にのみ生物が存在するのです。生命の発生と生存にとって 水は不可欠の要素であることが分かります。
思えば、地球上の人間万物にとって生命の基盤をなす士と水は、その大気とともに 母なる地球が悠久の生命をかけて生みなした造化の賜物です。
地球誕生は約46億年前。太陽を中心に他の惑星たちとともに関連しあいながら盛んな造化活動を行ない、ようやくにして姿、形を整え、海の中に原始生命が発生したのが約35億年前。時の流れとともに大気の成分も変化し、海から陸へと、最初の植物が上陸したのはおよそ4億年前とされています。生物の上陸とともに徐々に士が形成されていったのです。
それまで陸地に土はなく、岩石だらけだったといいます。これは土の構成成分(空気と水で半分、残り半分が砂などの無機物と落ち葉などの有機物)を考えれば納得できることです。土の層がだんだんと厚くなるにつれて貯える水の量も多くなり、より多くの植物を育てることができ、動物をも養うことができるようになったのです。
以来、生物は互いに食べたり食べられたり、助けたり助けられたりして長い長い時間をかけて多様化してきたのです。
太陽熱を受けて生じた、大気の流れによって地上に作り出された水の循環は、陸地と海との間にも循環し、その過程で土に貯えられた水が、地上に住む人間万物の生命に絶ゆるごとなく潤いを与えてくれるのです。士。水・大気・太陽エネルギー・植物・動物などの相互作用で現在の地上生態系をはじめとするあらゆる大自然の循環順律が完成したといえます。
士は、空気・水・砂や砂利などの無機物と人間をはじめとする動植物の廃棄物や遣骸といった有機物で構成されています。その有機物を食料にしているのが土壌生物であり、その土壌生物の働きがあってはじめて 士に還元された有機物が無機物となります。その無機物は水に溶けて肥料となり、植物を育てます。
大地には浄化力があるというのは、この微生物が汚物でも何でも皆食べてくれるからです。一方で大量の農薬や化学肥料は、土壌の中で大事な働きをしてくれているバクテリアの存在に多大な悪影響を与えているのは知られているとおりです。ちなみに このような自然の仕組みのなかで1センチの褐色の士の層が作られるのにも、何百年という年月がかかるといわれています。
増加する人口を賄うのに、食糧だけ心配してこと足りるものではありません。水と土が保証されなければ、生命の基盤そのものの未来が消えることになるのです。
地上に植物が発生し、動物が発生し、生命が充ちあふれてきたところで、最後に誕生した人類。生物種にして500万分の一、あるいは1000万分の一種にして、一番最後に誕生した人間に最高の知能が与えられたのは何故でしょうか。決して人間中心の世界をつくることを意味したのではなかったはずです。各々の生物は種に忠実に懸命に生き、使命を果たしているのです。それらの上に君臨する人間だけが資源を食い荒し、山を破壊し、海や川や空や大地を汚し、生態系を切り裂き、母なる地球を絶え切れないまでに傷めつけているのです。
人間中心主義はエゴと倣慢を生み出し、自然との調和や共生を忘れ、いつしか自然の法則、大生命の流れから離れていったことに早く気がつかなければなりません。私は、だからといって森の生態系と共に暮らしていた大昔に帰れといっているのではありません。人びとの生活から、冷蔵庫や洗濯機、掃除機を取り上げようといっているのでもありません。
万物の霊長と呼ばれる人類は、その霊性高きが故に、万物の慕い寄る存在であろはずです。地上の万物から贈られた有形無形の恩恵に感謝しこそすれ、生活連鎖、食物連鎖の生命のサイクルを人間が止めてしまい、そのエゴで汚染させたり、使い捨ててよいわけはありません。生命のサイクルは人類が終点ではなく、お返しせねばならないのが大自然の理です。
自然との調和のなかに人間の知能を生かし、人間とともに万物が獄ぶ、より輝かしい豊かな地上世界を現出させるとき、はじめて人類完成の歓びを迎えることができるのです。地上の万物がそのところを得、使命を全うし、人間万物が共存共栄する、円融大和の世界へ導くのが人間の使命ではないでしょうか。人間の勝手さで、無秩序に開発と称してブルドーザーで士を破壊し木をなぎ倒したり、火を入れて焼いてしまうことの無謀を警告したいのです。
古代文明はなぜ滅びたのでしょうか。それは森林の崩壊が大きな原因だと考えられています。人口増加に伴う農地の拡大、船材としての利用、都市建設や戦争など、つまり文明をつくるために森林が破壊されていったのです。
森林の崩壊は有機物の激減となり、士の構造(団粒構造)に異変が生じます。そうなりますと土が士としての機能を果たし得ず、水を貯える能力まで奪われてせっかくの雨も恵みの雨とはならず、逆に雨が降る度に表土は流失していったのです。やがて大地は砂漠となり、食糧生産ができなくなってしまいました。土壌の生産力を失った文明は滅びるしかありません。
そして今、人類は再び同じ道を地球規模に繰り広げようとしているのです。士と文明を守る絆は人間の精神であることは、古今を通じての真理であるといえましょう。
母なる地球は生きて活動しています。そしてその生命は、さらに広大な宇宙の大生命と連動し、無限大とも思える大宇宙のなかに無数の天体と共存する、巨大な宇宙生命システムのなかの一つです。何故に、地球だけがかくも美しく絶妙な生命の大芸術ともいえる生態系をもつのでしょうか。かけがえのない地球とは、それを指さずして何を指すというのでしょう。天地宇宙の大自然に対して、畏敬の念を忘れ去ってしまった人類。大自然は恐ろしきものであると同時に、なつかしきもの、慕わしきもの、愛しきものでもあります。何故ならば生命のふるさとであるからです。
今、人間世界は、人間とは何かを考える余裕もなく、物質経済に振り回され視界が曇らされて何も見えなくなっています。混濁の流れのなかにしばし立ち止まり、静かに母なる地球に、さらなる宇宙の大生命に思いをいたそうではありませんか。そして自然界の声に耳を傾けてみようではありませんか。世界のもろもろの問題は、私たちの心の切り替え次第では、それほど難問題ではないはずです。ただ皆が、その気になるかならないかが問題なのです。
アマゾンの酋長や先住民の長老たちが、森の開発に鋭く反対を訴える話を聞きますが、これにも耳を傾ける必要があります。この人たちは、科学の機器に頼らなくとも先祖代々森に住み、誰よりも森をよく知る人たちです。そこで衣食住を賄い、薬を作り、産業を生み、森と共生し、何よりも森を守ってくれている人たちです。これからの開発には、このような人たちに対し、充分な対話と気配りをすることが大切です。
1992年、コロンブス500年を祝うヨーロッパの人たちに対し、アメリカ大陸の先住民から待ったがかかったのも象徴的です。アメリカ大陸発見は、ヨーロッパ人にとっては輝かしい近代文明の幕開けを意味しますが、先住民たちにとっては征服と文化の破壊の500年であったのです。人類の世界史をひもとくとき、如何に多くの民族の文化や文明が、他からの征服によって地上から消されていったことでしょうか。その損失は人類共通のものであり、痛ましいかぎりです。その後遣症で今も立ち上がれない途上国の姿もあります。今日、環境問題で途上国が、先進国の豊かさは南の国ぐにの犠牲の上に作り上げたものだ、という言い分ももっともであるといわざるをえません。