「奇しびなる生命の連鎖」

− 宇宙から人間へ −

  はじめに

   

 前書『アジア発、地球へ』では、日本に発祥し、アジアで育ったオイスカがどのような哲学をもち、国際協力の現場であるアジア太平洋の国ぐにで汗を流しているかについて 大まかに30年の歴史を振り返って書きとめました。

 本書では、生命(いのち)をキーワードとして 宇宙から人間までを辿りながら、その奇しぴなるさまをしたためました。何故、オイスカが、そして一民間人として国際協力に日夜明け暮れている私が宇宙を言い、生命ということを叫び、その路線上に環境問題を置いているか、ここに宇宙から人間万物までを「生命(いのち)の連鎖と循環」の観点がらまとめあげることによってご理解いただけるものと思います。自然との調和と共生の思想に生きてきた古来の日本人の自然観・宇宙観と現代日本人の思考とのつながりにも触れてみました。ただ、本文では天文学上の数字や理論などを多く引用しましたので読みづらい点があるかもしれませんが、少々の忍耐心をもって最後までお読みいただければ幸いです。


 オイスカの関連機関に(財)国際文化交友会があり、これに所属するいくつかの天文台があります。その一つ、富士山の麓はるか伊豆半島の根っこに位置する函南の地に月光天文台があります。同天文台は天文愛好家たちによって支えられ、オイスカより4年長い36年の歴史をもちます。本書で取り上げたさまざまの天文学からの引用は、その多くがここの資料室に基づくものです。


 一度、天文に接すれば、どんな初心者でも少なくとも宇宙がいかに広大で美しく、しかも秩序をもった感動的な大空間であるかが読み取れることでしょう。あたり前のように今日を生きている、この小さな生命も、遠い遠い宇宙のかなたから星の生死を通して送られてきた要素が、幾重にも織り重なって脈々と生きているのだということが理解されます。

 私たちの肉体を構成しているさまざまな要素は、すべて宇宙から送られてきたもので、この生命もいわば宇宙からの贈りものなのです。海の中に地球上初めての生命が誕生したのが35億年前といわれています。その原始の細胞の中に、すでにDNAがインプットされ、描き込まれた遺伝情報は、生命の法則にしたがって代々伝えられてきました。驚くなかれ、今、私たち人間の体の中にある細胞も同じ構造をなしているのです・・・・・。

 しかも、卵子という1個の細胞が1個の精子を受け入れることによって始まる人間生命の誕生までの過程は、海に始まった原始生命以来の生命の歴史の再現なのです。

近代科学技術の開発は、より早くより効率的な世界を目指しています。しかしながら、およそ280日にわたって母胎で繰り広げられる生命のドラマにおいて時間の短縮や簡略化が図られたという話を聞いたことはありません。いったい誰が与えたのか、人間の力の及ばない大自然のことわり、生命の法則に対して衿を正さずにはいられません。

生命の法則はかくも厳粛なまでに簡略化を許さず、月日と時間をかけて母体とのかかわりのなかで35億年ともいわれる長い長い過去からの生物生命の歴史をたどらせ、初めて人間となることが宿命づけられているのです。このことは、地上に生を受けたその後も人間が自然の法則のなかに生き、よろずの他の生命とのかかわり合いのなかに生存が許されるものであることをよく説明し得るものです。

目の先の奇跡や不思議にとらわれる人はあっても、このような限りなく遠くて深い、しかも一人ひとり間違いなく身に持つ現実の不思議に感銘する人が少ないのも、人びとの思想や精神が現在だけの唯物思想の延長点を超えることができないためでしょうか。

 かってアインシュタイン博士をして「宇宙をつくるにあたって、神には選択の余地がどれだけあったろうか」と嘆息させたほど、宇宙は地球の生成を、そして人類の誕生を至上目的とするかのような方向だけで歩み来たった、ということに思えてなりません。また「神が宇宙をつくった時、さいころを転がしたのではない」という言葉は、遊び心や偶然でない目的をもった真摯でひたすらな心を示唆しているようです。私自身、人類誕生は宇宙意思によるものであり、必然でこそあれ偶然ではない、と信じています。

 一方、環境問題が厳しく取り上げられはじめて、さまざまな人間活動が反省を迫られる今日、環境や生物生命を思いやるばかりに、人間を動物と同列に見るかのような論があるのはどうかと思います。人間のエゴと徹慢を咎める立場では同感ですが、人間には、他の生物の持たない、人類にこそ託された使命があると思うからです。地球上を破壊に導くも繁栄に導くも人間ひとつにかかっているのです。人間の考え方や行動如何によっては、地球の生態系ともども母体である地球や宇宙にまで破壊的影響を与えるやも知れないのです。

最高の知能と技術力をもった人間は、さらに言語能力と自由を与えられたことにより、他の生物たちより活動範囲を広げることができました。しかし、人間世界の独善的な大発展の結果、人間はその力ですべてを支配し得るとの錯覚に陥り、そうした慢心とエゴでもって逆に自ら大きな破局を招き、しかもその破局が世界全体に及ぼうとしているのが今日の地球規模の環境問題です。

 私たち人類が生命を継続しようとするなら、先ず、生命(いのち)が何であるかの原点に帰ることから考え直していかなければなりません。私たちが空気・水・士など大自然の環境、そしてそのなかに住む植物・動物から受けている恩恵は計り知れず、今後も受け続けていくことは間違いありません。戴いた生命は自分一人に止まることなく、還流させなければ流れは止まってしまうことになります。生命(いのち)のお返しは、精神的には感謝でありましょうし、物質的、体的には世界の人類はじめ万物の発展と幸福のために尽くすことによってなされます。いかに生命(いのち)の教育が大切かを強調したいのです。

 人間が、母なる地球を母体として、その環境や生態系から受けた有形無形のさまざまな恩恵に感謝する心があれば、お返ししたくなるのが自然の流れであり、人間の本性でありましょう。そうであればおのずと足るを知り、ライフスタイルも改まってくるはずです。

 大生命の流れのなかに生きる人間の生命(いのち)のサイクル、これこそボランティアの基点でありましょう。ボランティアの心が国際協力にも展開されます。国際協力は決して一方通行ではないし、また見返りを求めるものでもありませんが、一方、世界からの流れがわが身に返ってくるのも事実です。国に置き換えて考えるならば、日本が今日のように発展することができたのも南の国ぐにからの資源の提供があったればこそです。今後も日本の人たちがこの流れを続けようとするならば、還流こそが必要です。つまり、生命(いのち)のお返しです。オイスカはこの精神で熱意を傾けています。

 世界のさまざまな国を訪れ、その国や地域の人びとや文化に接するなかに違和感なく溶け込めるものがあり、妙に懐かしさや慕わしささえ感ずることがあります。特に森や大地、山など自然環境から宇宙的なものまで取り入れて、ときには荘厳さをもって ときには原始的素朴さをもって執り行われる祭りや儀式のなかに、悠久の大いなる生命を志向する自然観、人生観を見、共感を覚えるのです。

このような考え方は日本人流のあいまいさ、無節操と咎められるかもしれません。しかしながら私は、ときどきこんなことを考えるのです。私がもし回教徒の国に生まれていたら恐らく回教徒になっていただろうし、キリスト教徒の国に生まれていたらキリスト教徒になっていたであろうと。同様に 仏教徒にも、ヒンズー教徒にも、ユダヤ教徒にも。あるいは先住民の地に生まれていれば、その文化に生きていたでしょう。しかし、その入口が何であったにしても、説き方がそれぞれあったにしても、人間にとって最大の関心事は生命に帰しましょうから、その到達点は普遍の大生命を祖(おや)とし宇宙意思への恭順に違いはなかつただろうと。

 日本人は古来から森を尊重し、森とともに生きてきた歴史があります。大自然を畏敬し、祈る心をもって民族独特の世界観、宇宙観、人生観を養い、伝統と文化を伝えてきました。自然との調和のなかで生きてきた日本の先祖たちは、自然の木にも山にも水にも川にも石にも霊性を認めるという自然観を無理なく受け継ぎ、その生命の連鎖と循環のなかに生きる思想を持っていたのです。日本に生を受けた私が、きわめて自然にこうした日本の原始宗教ともいうべき神道の考え方を入口として、自然尊重と宇宙をはじめ地球・人類万物が大調和して共生する世界こそ求めて止まない平和な姿と心に描き、その実現のため、国際協力に従事するという生き方を選んだとしても不思議ではないでしょう。

 国際協力は、決してモノやカネの動きだけではなく、心の共鳴にこそ意味があります。相互尊重、相互信頼を育むためにも積極的に交流をはかり、協力活動を通じて人間同士が学び合い、照らし合い、助け合い、高め合っていきたいものです。より強く、豊かな生命の連鎖と循環の血脈を世界に通わせ、万物生命もその処を得、喜び勇んでそれぞれの使命に生きる世界の招来こそが、宇宙の寵児である人類が御祖(みおや)の心を汲み入れて果たすべき務めでありましょう。

そこにこそまことの豊かさと繁栄があることに覚醒したいのです。現在、地球を覆う暗黒の運命をふきはらい、世界万民があらゆる不安や恐怖から解放され、与えられた生命に感謝感激し、互いに円融大和して安心立命の世界に生きる日が一日も早く訪れることを願っています。地球上の生きとし生ける生命が、母なる地球の生命と、さらには宇宙の大生命の流れと呼応し、天地宇宙間に妙なる大調和のオーケストラが響きわたるときこそ、この地上に最後の生命として送られた人類の使命が達成されたときとなりましょう。

 なお、本書は理念・哲学に徹し、あえてアジア太平洋を中心に世界の国ぐにの現場で汗を流しているオイスカの実践活動には触れなかったことをご了承下さい。実践活動・体験の記録については、拙著『アジア発、地球へ』をご紹介させて頂きます。



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